「身寄りがない人の入院及び医療に係る意思決定が困難な人への支援に関するガイドライン」について(武藤)

2019/06/06

厚生労働省より、「身寄りがない人の入院及び医療に係る意思決定が困難な人への支援に関するガイドライン」について、各都道府県の関係主管部局宛に通知が発出されました(社援発0603第1号、社援保発0603第2号、障障発0603第1号、老振発0603第1号)。これは武藤が分担研究者として参加した、平成30年度厚生労働行政推進調査事業費補助金(地域医療基盤開発推進研究事業) 「医療現場における成年後見制度への理解及び病院が身元保証人に求める役割等の実態把握に関する研究」班(研究代表者 山梨大学大学院総合研究部医学域 社会医学講座 山縣 然太朗教授)の研究班の成果の一部です。

様々な方々の調査協力を得て、成年後見人できること、身元保証人(ビジネス)に頼らなくてもできることを整理し、成年後見人制度をはじめとする諸制度との調整も経てまとめられたものです。このガイドラインのご紹介ご批判もかねた事例検討会など、ぜひ多職種での対話の機会を増やしてくださいませ! ぜひご覧下さい。

続きを読む

厚生労働科学特別研究「社会における個人遺伝情報利用の実態とゲノムリテラシーに関する調査研究」班の活動終了!(武藤)

2017/06/16

昨年度、厚生労働科学特別研究「社会における個人遺伝情報利用の実態とゲノムリテラシーに関する調査研究」を預かりました。非常に短い期間でしたが、活動が終了し、本日、厚生労働省内で記者会見を行いました。

厚生労働省が設置した「ゲノム医療実用化推進タスクフォース」による「ゲノム医療等の実現・発展のための具体的方策について(意見とりまとめ)」では、研究・医療等におけるゲノム情報の取扱いに係る国民の懸念や現状等の把握、またその社会実装における課題の整理等は十分なされていないことから、「実態等の把握を行った上で、法的措置も含めゲノム情報の取扱いに係る制度を整備する必要性について検討する必要がある」と指摘されています。

そこで本研究では、研究・医療等におけるゲノム情報の取扱いに係る国民の懸念とともに、雇用分野における遺伝情報の取り扱いの実態を産業医への調査から把握するとともに、その結果を踏まえて、国民のゲノムリテラシーを醸成するための啓発資料を制作することを目的として、(1)遺伝的特徴に基づく差別的取扱いをめぐる概念整理に関する研究、(2)米国とカナダにおける遺伝情報に基づく差別をめぐる法的規制の動向に関する研究、(3)遺伝情報の利用や差別的取扱いへの一般市民の意識に関する研究、(4)遺伝的特徴に基づく差別的取扱いに関する患者・障害者のヒアリング調査、(5)国民のゲノムリテラシーを醸成するための啓発資料制作を行いました。

記者会見の説明資料は、こちらをご覧下さい。

続きを読む

金澤一郎先生のこと(武藤)

2016/01/20

本日、国際医療福祉大学大学院 名誉大学院長の金澤一郎先生が亡くなられました。金澤先生は、東京大学医学部を退任された後、数々の要職を歴任され、そのお肩書きには枚挙に暇がありません。一般的によく知られているのは、宮内庁皇室医務主管を務められたことであろうと思います。

これから出るであろう、金澤先生を悼む報道では、金澤先生とハンチントン病との関わりに触れるものは少ないと思いますが、金澤先生は、日本で数少ないハンチントン病研究の第一人者であり、私は多くのことを教えて頂いた一人です。

金澤先生に初めてお会いしたのは、1996年、私が大学院博士課程に入学して2年目のことでした。私は、世界各国のハンチントン病の患者・家族会の国際団体(International Huntington Association)への視察から戻り、完全に感化された状態でした。

そこで、私は、全く面識のなかった金澤先生との面談予約を取り、日本でも患者・家族会をつくりましょう!と、直球で思いを伝えました。金澤先生は、私に「日本で作るのは無理じゃないか」、「よくハンチントン病のご家族の意見を聞いてみたらどうか。でも僕は紹介しないよ」と躊躇なくおっしゃいました。こうしたご見解は、長年の臨床経験から先生がご覧になってきた、ハンチントン病の患者・家族の方々の苦しみを踏まえてのものでした。

そもそも、近視眼的な、見ず知らずの文系学生に、まずはよくぞお会い下さったと恥じ入る思いですが、ここで金澤先生が立ちはだかって下さったことは、とても有り難いことでした。おかげで、私の中では、「いやいや、絶対に仲間がほしいというニーズはあるはずだから、いつか保守的な金澤先生をギャフンといわせたい」という稚拙な対抗心と同時に、「私自身が何も日本の当事者の苦しみをわかっていないだけかもしれない」という謙虚な危機感も生まれました。

その後、様々な縁が結ばれ、2000年に、日本ハンチントン病ネットワーク(JHDN)という会が組織されました。金澤先生もお招きした「JHDNお茶会」で当事者が語り合っている姿を目の当たりにされたときには、本当に喜んで下さいました。その後も、金澤先生はいつも応援して下さり、様々な場でJHDNのことを話題にして下さったほか、ハンチントン病の発症前遺伝子検査のガイドラインを一緒に訳してくださいました。豪放磊落、でも繊細に多くの方面に気を配られ、最後はえいやっとナタを振るう、そんなイメージの先生でした。

2週間ほど前、金澤先生から久しぶりにお電話を頂きました。療養を第一とした暮らしをされていたことは存じていましたが、かつて金澤先生をお招きした、記念すべき「JHDNお茶会」から15周年となる今年の夏に、私は記念講演を依頼していました。しかし、残念ながら、お電話のご用件は、講演辞退のお申し入れでした。「声は元気そうでしょ。でも病室からは全く出られないし、夏にはヘロヘロになっているかもしれない」と。その後の会話は、ご体調のこと、東大のこと、医科研のこと・・・でも金澤先生が抱かれていた夢のお話や、私への過分な労いのお言葉に至ったとき、これはお別れのご挨拶だと確信しました。私の嗚咽が金澤先生にバレないように、「ぜひまたお会いしましょう」とお伝えするのが精一杯でした。

金澤先生は、基礎研究の論文のみならず、総説や様々なジャンルのエッセイもお書きになりましたが、いくつかの著作について、特に若手の方に接して頂きたく、ここにご紹介致します。これまで多くのご指導を頂いたことに心から感謝し、ご冥福をお祈り致します。

【ウェブサイト上から自由に読めるもの】

【図書】

  • 金澤一郎「ハンチントン病を追って: 臨床から遺伝子治療まで」,科学技術振興機構,2006.6.
    (東京大学ご退職を契機に編まれた書籍です)

続きを読む

第1回「研究倫理を語る会」ご参加御礼(武藤)

2015/12/13

2015年12月12日、無事に「研究倫理の文化祭」、第1回「研究倫理を語る会」を開催することができました。受付を通過された方は370名にものぼり、年末の貴重な週末に足を運んで下さったことを心から御礼申し上げます。また、世話人代表を務めて下さった東京医科歯科大学生命倫理研究センターの吉田雅幸先生、甲畑宏子先生、江花有亮先生、高橋沙矢子先生に御礼申し上げます。さらに、各セッションをまとめてくださった座長の先生方、協賛してくださった諸団体の皆様にも大変お世話になりました。

また、セッション5「拡大・研究倫理支援者懇談会」の座長を引き受けてくれた神里彩子さん、セッション1「統合指針への対応状況:モニタリング・監査 はじめました」に登壇してくれた井上悠輔さん、Andrew JT George先生を招聘してくれた高嶋佳代さんをはじめ、当日も臨機応変に対応してくれた当研究室のメンバー一同に、厚く御礼申し上げます。

「研究倫理を語る会」の構想には、PRIM&R(Public Responsibility in Medicine and Research)がありました。私は、2000年にPRIM&Rに初めて参加し、被験者保護や規制、倫理審査について、機関や立場を超えて語り合う場があることに衝撃を受けました。日頃は色々なトラブルやストレスもあるかもしれませんが、この日ばかりは、みんな明るく楽しく、そしてぶっちゃけトークを繰り広げていました。

しかも、ただ「語り場」を提供しているだけではないのです。PRIM&Rでは、Certified IRB Professional(CIP)という、IRB運営に関わる実務者の認定試験を運営しています。CIPは、事務職員の学位のように扱われており、頂く名刺の多くには、名前の後ろに「,CIP」とつけられていました。当時、CIP制度を運営していた人に伺ったところ、「連邦規則なんて小難しいことを勉強してるんだから、少しでも転職しやすくするために、どういうスキルをもった人なのかを明らかにすることにしたんですよ」と教えてくれました。つまり、人を対象とする研究における法令を熟知し、IRBを運営できるという能力を示しているのがCIPです。

私が最近とても懸念しているのは、日本で突然、研究公正や倫理審査に関する業務量が増加し、また専門分化していることです。こうした業務に愛着を感じることのできる人たちは限られており、モチベーションの維持、そして専門性のあるキャリアパスの醸成が圧倒的に不足しています。研究倫理の質を支えているのは、委員だけではなく、事務/専門職員や研究倫理支援に関わる人たちです。すぐに解決できる問題ではありませんが、日本版CIPの構想も次の夢にしながら、これからも考えていきたいと思っています。また、日本では、研究機関の種別、職種、立場を超えて会する場がありませんでしたので、昨日の会がその第一歩になっていればいいなと思っております。

続きを読む

STAP細胞問題をめぐって(武藤)

2014/03/16

STAP細胞問題について、マスメディアの方々から多数の問合せをいただいているのですが、現時点でコメントしたい事柄がなく、全てお断りしています。

とはいえ、ここでは、まだ余り指摘されていないことを3つほど、備忘録として挙げておきたいと思います。

(1)理系論文の「背景」「目的」部分への労力/評価のバランスを見直そう
(2)科学という不確実な営みに対する、「契約」や「評価」がもたらす歪みを問い直そう
(3)「細胞を創り出す」思想や行為に特有の、研究倫理上のリスクを洗い出そう

なお、いま願うことは、理化学研究所でのSTAP細胞作製手順公開から2週間経過しましたが、いまだに再現実験を繰り返して苛立っている友人たち、どういう(不正な)行為を足し引きすればSTAP細胞ができあがるのかを実験している友人たちが、睡眠不足の日々から早く解放されることです。以下、長文。


(1)理系論文の「背景」・「目的」部分への労力/評価のバランスを見直そう

文系の研究者からみますと、生命科学(あるいは理系全般?)の研究者は、論文の「背景」・「目的」に対する思い入れが少なすぎます。この思い入れのなさの原因は、論文のインパクトが「方法」と「結果」であって、「背景」と「目的」にかける執筆労力も、論文全体からみた配点/評価も低く割り当てられているためではないでしょうか。従って、執筆者もその上長も、「背景」・「目的」におけるコピペへの垣根が極めて低く、むしろ常態化しているのではないかとも感じます。このことは、生命科学・医学の世界にやってきたときのカルチャーショックの一つでもありました。

個人研究を中心とする文系の研究者にとっては、自分のレゾン・デートル証明のためにも、論文の「背景」「目的」は、極めて重要な執筆過程になります。逆に、文系の研究者の論文は、「方法」部分の記述が全体としてpoorになりやすく、「結果」「考察」の区別をつける必要性は研究領域によっても異なるため、論文が「作品」/「エッセイ」/「論説」になりやすいリスクを秘めていることも指摘しておきます。

(2)科学という不確実な営みに対する、「契約」や「評価」がもたらす歪みを問い直そう

2005年に韓国の黄禹錫氏によるヒトクローン胚からのES細胞樹立の捏造が発覚したときには、日本の研究コミュニティは、それを「初のノーベル賞をほしがった韓国の話であって、日本は関係ない」と冷笑していました。

しかし、2007年にヒトiPS細胞が作製されるようになると、「万能な細胞を創り、利用することを目指す」研究領域では、「オール・ジャパン」での産学連携体制が進み、確実に実用化できる成果を出させなければ、研究機関としても、個人としても、大幅に評価が低下する環境が、他の研究分野に先駆けて整ってしまいました。つまり、本来、科学は、成果を確約できない不確実な営みであるにもかかわらず、この数年の間で、「成果は論文ではなく実用化」という評価軸が産まれ、「実用化に資する成果を出す」ことをスポンサーと「契約」して研究せざるを得なくなりました。

大規模予算の獲得を目の前にして、素人にわかりやすい説明責任を求められるようになると、研究責任者は、素人受けのよい研究テーマや成果説明を、そして広告代理店を調達しようとします。こうして、イノベーションを目指す営みには大規模予算がつく一方、基礎科学を目指す営みは、「科研費で細々とおやりください」という環境が完成したように思います。その両方を同じ「科学」と呼んでよいのか、はなはだ疑問です。

結果として、個々の研究者個人の営みは、実用化に向けた下請けとしてさらに分業化され、かつてない労働環境が進んでいるように思います。若手研究者の自虐的な呼称である「ピペット土方/奴隷」という言葉が出てきて久しいですが、彼らはもっと大きな構造変化のなかでの「ピペド」に転換したともいえます。

むろん、日本の生命科学は、ほぼ国の税金によって支えられており、厳しい財政難のなかでこれを差配する官僚からみれば、国民への説明責任や国民へ成果還元を重視せざるを得ないという立場も理解できます。しかし、余りにも短期間のうちに、環境が大きく転換されたことの功罪を、いま見直しておく必要があると考えます。

(3)「細胞を創り出す」思想や行為に特有の、研究倫理上のリスクを洗い出そう

まだ漠然とした、またぼんやりとした懸念ですが、「万能な細胞を創り、利用することを目指す」研究領域では、その思想や行為自体に内包される、独特の研究倫理上のリスクが存在しているのではないかと思うようになりました。

従来同定されてきた倫理的な課題としては、①受精卵を滅失させるES細胞の利用、②女性からの採卵や卵子売買、③iPS細胞から作製した生殖細胞の受精の禁止などがあります。確かにこれらを除けば、法令・指針で同定している範囲での、生命倫理上の問題はないのかもしれません。

しかし、古くは、1981年のクローンマウスの捏造事件に遡るかもしれませんが、一般的な臨床研究のデータ捏造とは異なり、「新しく万能な何かを創り出す」こと、あるいは「新しく万能な何かを創り出す科学者になること」には、独特な魔の差し方、あるいは、彼らを魅了する何か、があるように思われるからです。

ここで述べている漠然とした研究倫理上のリスクとは、

  • コピペや画像処理が容易になった時代における一般論としての研究不正リスク
  • (2)で述べたような、契約や評価へのプレッシャーがもたらす歪みから生じる研究不正リスク

とも異なる、新たな問題として認識しないと、この研究領域での研究不正はなくならない予感がします。まだ具体的なことは何も指摘できませんが、考え続けていきたいと思っています。

続きを読む

研究倫理支援に関する2事業の中間評価結果について(武藤)

2014/02/14

平成23年度から受託して参りました国の事業につきまして、中間評価が実施されました。私どもが受託している2つの事業につき、中間評価の結果をご報告致します。

1.独立行政法人科学技術振興機構「再生医療の実現化ハイウェイ」課題D「再生医療の実現化に向けた研究開発における倫理上の問題に関する調査・検討・支援」

本学医学系研究科医療倫理学分野の赤林朗教授が、平成23年度の受託時より代表を務めてこられましたが、平成25年2月より私が代表代理を務めるようになり、同年8月に代表を交替致しました。本事業への関与を強め、立て直した一年でしたが、総評は「やや不十分」でした。

今後の取り組みについては、

  1. 「再生医療の実現化ハイウェイ」並びに「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」傘下の各研究課題に対する倫理支援を最優先とし、インフォームド・コンセントと倫理審査に関する助言指導、およびそこから生ずる倫理的課題の研究に専念すること
  2. 当初の提案書に記載した、再生医療に関わる中長期的な倫理的法的社会的課題(いわゆるELSI)の研究を中止
  3. 「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」PD・POとの連絡体制の強化

とのご指示がありました。

課題Dに対する詳しい評価結果は、こちらをご覧下さい。また、「再生医療実現化ハイウェイ」採択課題全体に対する中間評価の結果は、こちらをご覧下さい。

2.文部科学省科学技術試験研究委託事業「次世代がん研究シーズ戦略的育成プログラム」

私どもは平成23年度より、全体のマネジメント部門(HQ)の一部として研究倫理支援ユニットの活動を受託しております。野田哲生プログラムリーダーのご指導のもと、HQは「A:優れている」との評価を頂いたほか、倫理グループについては、以下のコメントを頂戴しました。

オ 倫理グループの検討状況、機能の適正さ、各研究者への活用条項・貢献度等知財支援同様に、倫理審査やインフォームドコンセントに重大な問題や疑念が生じないための多くの努力がなされている。研究倫理に関する相談の場所や教育訓練の実施などいくつもの側面において具体的な支援を相当数行われていることは高く評価できる。国民的な理解を得るためにも倫理的な事項に関するより適切なサポートや指導が求められる。今後は検体の共有や多目的利用などの環境構築などにも、一層の推進を期待する。

プログラム全体の評価結果はこちらをご覧下さい。

続きを読む

教授を拝命致しました(武藤)

2013/02/06

私事ではございますが、2013年2月1日付で、教授を拝命致しました。

公共政策研究分野をつくって頂いてから丸6年が過ぎようとしていますが、医科研の研究者の方々が、同じ仲間として受け入れて下さったことに、心から感謝しております。しかし、過分なご祝辞を頂く中で、学校教育法をあらためて読むと、この身分は大変に責任の重いことで、医科研の方々が新たな賭けをなさったように感じ、身が引き締まる思いです。

加えて、先行き不透明なこの研究室に、意を決して、心優しく優秀なスタッフや学生たちが集ってくれたことにも、感謝の気持ちでいっぱいです。医科研で、ひいては医科学研究コミュニティにおいて、この研究室の存在と役割を認めて頂けたのは、ひとえにみんなの力のおかげです。本当にありがとうございます。

2000年代から、医科学には経済効果やイノベーションが待望されるようになり、国の委託事業として契約の対象や、民間企業から投資の対象となってきました。そのようななか、私たちは、医科学研究者ではない立場の視点、病や障害とともに生きる方の視点を忘れないように心がけながら、主に研究倫理支援業務と倫理的・法的・社会的課題(ELSI)の研究を進め、わずかながら若い人材も育成してきました。また、最近では、附属病院看護部の皆さんと、臨床倫理を考える機会を頂いています。そして、国からは、ナショナルプロジェクトでの研究倫理支援業務を委託されるようになりました。

ただ、これは、たまたま時代の流れに合っていた、ということだろうと理解しています。本当に生き残れるかどうか、勝負はこれからです。

今後10年間、この研究室は、どのような役割を果たしていくべきなのでしょうか。医科学に対する「日本再生の旗頭」としての期待は、かつてないほど高まっています。しかし、そのペースに呑まれ、振り回され、ただ「支援」するだけでは、この研究室は自滅するでしょう。私たちは、医科学を間近に見守る者として、新たな関与のモデルをつくり、光の当たりにくいところに眼差しを向け、得られた知見を発信していかなければならないと思います。

考えながら走ることを許してくれる雰囲気は、医科研のよさだと思っておりますが、先頭を走らないと、きっと許してもらえないでしょう。皆様のご支援を得ながら、新たな覚悟とともに、邁進していきたいと考えております。

今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

続きを読む

臨床試験・治験の語りデータベースプロジェクト、始動!(武藤)

2012/08/23

今年度から3年間の予定で、文部科学省科学研究費助成事業基盤研究(B)「臨床試験・治験の語りデータベース構築と被験者保護の質向上に関する研究班」の代表を務めさせて頂くことになりました。北里大学薬学部医療心理学部門の有田悦子さんたちのチームと一緒に、特定非営利活動法人 健康と病いの語り ディペックス・ジャパンの全面的なご協力のもと、志を同じくする強力なメンバーと一緒に進めていきます。

臨床試験・治験に参加した方や、参加を断った方、途中で中止になった方の体験談を集めてデータベースをつくり、その一部をウェブ上に公開するとともに、よりよい臨床試験・治験実施体制を考えるという趣旨のプロジェクトです。大学院生の中田はる佳さんがメインインタビュアーを務めることになっています。今のところ、私はマネージャーに徹するという感じで、経理の書類のことで追われていますが、久しぶりに質的な研究プロジェクトにがっちり関与できそうで、とても楽しみです。

なぜこのような取り組みが必要だと考えたのか?この研究班の活動内容は?こちらにありますのでご覧ください!

続きを読む

信毎コラムが中学生の学習シートに(武藤)

2012/04/11

信濃毎日新聞の「サイエンスの小径」では、2年間お世話になってきましたが、2012年2月27日付のコラムをもって担当終了となりました。その最終回のコラムが、NIE(Newspaper In Education, 教育に新聞を)用の学習シートに転載していただけることになりました。

NIEとは、新聞を教育の場で活用するために学校関係者と新聞社が共同で取り組んでいる活動で、信濃毎日新聞でも実践されています。拙稿をもとに、理科の授業での活用が念頭に置かれた学習シートが作成され、4月11日に長野県内の中学校に配信されたそうです。

近年の、日本の血液型「差別」現象に関心を持ってきた者としては、現役中学生の方たちに読んでいただけるのは、ドキドキします。最終回にとても嬉しいお計らいをいただきました。

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(16)「血液型 隠したいわけは」(武藤)

2012/02/27

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2012年2月27日掲載)
▽血液型 隠したいわけは▽武藤香織


数年前、看護専門学校で講義をした時のことだ。アイデンティティー(自己の存在理由)と差別について考えるため、「自分の身分や性質を表す情報のなかで、人に知られたくない情報は何か」というテーマでグループ別に議論してもらったところ、複数のグループから「血液型を隠したい」という意見が出て、驚いた。B型の学生から、「彼氏には言っていない」「合コンではA型のふりをする」などという声も出てきた。

最近、東大の学生に聞いた時にも、「理不尽なB型差別に傷ついてきた」という学生がいた。「何をやっても『やっぱりB型だからだめなんだ』と言われるのに、A型の人は『さすがA型だね』と言われる」のだそうだ。どうも若い人たちの間で、B型の立ち位置は厳しいと認識されているらしい。
若者世代が中心に回答したいくつかの世論調査(いずれも2008年)を見ると、血液型による性格占いを「信じている」と回答した人は37%程度。B型の人は特に、血液型と性格に関係があると信じ、性格診断に関心があるとの結果もあった。また、異性と交際する際にも、趣味、職業、生年月日(年齢)に次いで血液型が重視されているのだという。

そもそも血液型とは、血液中の細胞が持っている、免疫反応を引き起こさせる物質(抗原)の違いをもとにした分類で、分類の仕方もいくつかある。その一つであるABO式血液型は、赤血球の表面にある抗原の種類によってに分類したものだ。だから、輸血の際には、抗原抗体反応(拒絶反応)を引き起こさないように、血液型を確認しておく必要がある。しかし、血液型と性格との関連に、何ら科学的な根拠はない。

そして、ABO式血液型の遺伝子は第9染色体にあり、血液型は遺伝情報でもある。就職活動で学生が提出する書類に血液型を記入させる企業も実在するが、血液型に基づいて採用の判断などが行われているとなれば、遺伝情報に基づく差別の可能性も疑われ、深刻な社会問題につながりうるところだ。
血液型による性格診断は、出版物をはじめさまざまなメディアで取り上げられ、現代日本社会の一つのコミュニケーションツールにもなっている。それだけに、偏見や差別につながらないかたちで扱われることを願いたい。

(東大医科学研究所准教授)(了)

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(15)「キメラ胚の研究を考える」(武藤)

2012/01/16

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2012年1月16日掲載)
▽キメラ胚の研究を考える▽武藤香織


ある個体に、別の個体の細胞がまざった状態にある個体を、キメラと呼ぶ。これは、ギリシャ神話に登場する、ライオンの頭とヤギの胴体と蛇の尻尾を持つ怪獣「キマイラ」が語源となっている。動物実験ではすでに、羊とヤギ、ニワトリとウズラなどの異種間キメラがつくられている。しかし、動物と人のキメラは存在しない。

2001(平成13)年に国が策定した「特定胚の取扱いに関する指針」では、動物の体内で人の移植用臓器をつくることを目指した基礎研究に限り、人の細胞を含む動物胚、つまりキメラ胚をつくることが認められた。発生過程で動物と人の細胞がどのようにまざり、どのような機能を果たすかを検討するためだ。

そして今、移植用臓器の慢性的な不足を解消するための研究の一つとして、一部に人の要素を持つ動物胚をつくる研究が注目されている。具体的には、豚の体内で人の人工多能性幹細胞(iPS細胞)から膵臓をつくり、糖尿病などの患者に移植することを目指した再生医療の基礎研究だ。

指針では、キメラ胚は作成後14日以内に廃棄することが求められ、動物や人の体内に移植することは禁じられている。豚と人の細胞が混在する生き物が誕生してはならないと考えられているからだ。だが、人のiPS細胞が、本当に身体のあらゆる細胞に変わりうる細胞なのかどうかを調べるには、キメラ胚を培養し続け、「人の臓器らしくみえるもの」をもった動物の誕生まで見届ける必要がある。

果たして、「人の臓器らしく見えるもの」を有した状態で生まれた動物は、家畜と同様の地位を獲得するのだろうか。それとも、「人っぽさを持つ動物」という新たな存在として迎えるべきなのだろうか。

また、「人の臓器らしく見えるもの」は、実際に人の身体に移植して、臓器として機能するかどうかを確認しなければならない。もし人の臓器として機能したら、動物の体内で作成された臓器は、脳死体から摘出される臓器と同様に扱われるべきなのだろうか。

SFのように思えることが、まだ基礎研究の段階ながらも、現実味を帯びてきている。私たちの社会には、動物に人の臓器をつくってもらうことを受け入れる覚悟が本当にあるのだろうか。今から考え始めても遅くはない。

(東大医科学研究所准教授)(了)

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(14)「バイオバンク」幅広い議論を(武藤)

2011/11/28

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2011年11月28日掲載)
▽「バイオバンク」幅広い議論を▽武藤香織


病院で、検査のために採取した血液や尿の残り、あるいは手術で切除した患部などを、廃棄せずに、将来の医学研究のために使わせてほしいと頼まれた経験はないだろうか。近年、こうした研究の営みについて、提供者に詳しく説明することが求められている。たとえば、東京にある国立がん研究センターでは、新たに説明員を置いて患者に依頼したところ、90%以上の患者から同意が得られたという。
だが一方で、提供した生体試料の行方についてはどうだろう。ホームページなどで公表している研究機関もあるが、一般には知られていないのではないだろうか。

患者が提供した試料は、その病院の医師たちが中心になって研究に用いることが多い。専門的な解析をするために、共同研究先の研究機関や企業に試料を送る場合もある。

また、そのほかに、「バイオバンク」と呼ばれる機関に収められることがある。バイオバンクとは、生体試料をさまざまな研究に活用できるように保管し、研究者や企業に提供する機関の総称だ。試料を使いたい人に対して、一定の審査を経て、提供することが多い。

バイオバンクは1990年代から世界各国で構築されはじめ、日本にもある。たとえば、さまざまな病気の細胞から作ったiPS細胞(人工多能性幹細胞)を収集するバンクが設けられた。また、脳に関する病気を解明するために、死後の脳を収集するバンクもある。多様な研究に対応するには、多様な試料を収集することが必要になる。

アメリカでは60年代から、研究のための試料収集に関して、患者団体と研究者が話し合い、協力してルールを決めてきた歴史がある。90年代以降は、患者団体がバイオバンクを運営する取り組みも始まり、患者と研究者の関係は、徐々に対等な関係になってきた。だが、日本ではまだバイオバンクの存在自体があまり知られていない。

今般、国会で成立した第3次補正予算で、新たに「東北メディカル・メガバンク」が構築されることになった。最先端の研究や診療を実施する拠点として、震災被災者から試料やデータも収集するというが、被災地の人たちがその意義を認め、現地の医療態勢の立て直しと充実に寄与するバンクとすることができるかどうかが大きな課題だ。今後、バイオバンクをめぐって、幅広く活発な議論が起こることを願いたい。

(東大医科学研究所准教授)

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(13)難病の説明 当事者自ら(武藤)

2011/10/17

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2011年10月17日掲載)
▽難病の説明 当事者自ら▽武藤香織


ハンチントン病という病気がある。国指定の難病として、2009年度末現在で796名の患者が登録されており、専門家の間では、予防法や根本的な治療法がない遺伝性神経難病として知られている。この病気の患者・家族の会が生まれて、今年で10年になる。大学院生のときに出会った人たちとの縁で、私も会の設立と運営のお手伝いをしてきた。

この会ができる前は、患者や家族が安心して手に取れる、病気や療養の解説書がなかった。保健所には、平成の世になっても、「愛情があれば結婚してもよいが、子どもをつくらずに病気をなくす努力が必要です」という〝助言〟の書かれた資料が置かれていた。また、「ハンチントン」をインターネットで検索しても、深刻な症状や死の恐怖を煽るような記述が多く、とても当事者の生きる意欲につながるものではなかった。

そこで、患者・家族の会が最初に取り組んだのは、病気や療養に関する解説書づくりだった。イギリスやカナダで1970年代に発足した患者・家族の会の刊行物を参考に、当事者が「こんなふうに説明してほしかった」と思える解説書ができて、友達や交際相手、職場の理解を得たいときに使われているそうだ。会の集まりでは、リラックスした表情の人たちに出会える。

他方、この10年間、当事者の知らないところで、この病気を題材にした推理小説や恋愛小説、4コマ漫画などが生まれた。悪意のない表現ではあっても、病気がエンターテインメントの材料になることに複雑な思いを抱く患者、家族も少なくない。さまざまな表現とのつきあいはまだ続く。

最近、設立10周年の記念集会があり、この病気に関心を寄せる科学者や専門医、訪問診療医が講演して、参加者と意見交換を行った。以前は、専門家が同席することに強い異論が出た時期もあった。だが、解説書づくりを通して、病気の説明の仕方を、専門家任せにせず当事者自ら考えたことが、専門家と一緒に将来を考える機運につながったのかもしれない。そう考えると感慨深かった。

患者数が少なく、実態が把握されていない希少難病は6000~7000種類もあるといわれている。患者のなかには同病の他者を知らない人もたくさんいるようだ。その人たちが安心して誰かとつながり、病気について自分たちにふさわしい表現を広めていけることを願う。

(東大医科学研究所准教授)(了)

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(12)被災地で科学を語り合う(武藤)

2011/09/05

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2011年9月5日掲載)
▽被災地で科学を語り合う▽武藤香織


先日、大学院生と宮城県の南三陸町を訪れ、仮設住宅の隣でサイエンス・カフェを開いた。サイエンス・カフェとは、喫茶店のような気楽な雰囲気の中で科学を知り、語り合う場のこと。ヨーロッパを起源とする。今回は、家庭にあるものを利用して、オレンジやバナナ、人の唾液からDNAを取り出す実験をした。伝えたいのは、果物にも人間にも、生き物にはみんなDNAがあるんだよ、というシンプルなメッセージである。

現地で被災者の生活支援にあたっている慶応大学のボランティアが、仮設住宅全戸をまわってチラシを配ってくれた。お礼を言うと、「チラシ配りをきっかけに、居住者とお話しができるので、こちらもありがたい」とのこと。ボランティアの力を借りた新たな地域づくりは、始まったばかりなのだ。
当日、「DNAってテレビで聞いたことあるよ」「ほかにやることもないから」と言いながら、高齢の男性が2人やってきた。小学校高学年の女の子は、低学年の子どもたちも連れてきてくれた。だが、リーダー格の男の子が「実験なんかやらない!」とゲームに興じ始めると、他の子どもたちもゲーム機を抱えて座り込んでしまった。ボランティアの学生が「こうなると、1時間は動かないんです」とつぶやく。でも、女の子は実験に参加してくれた。

料理教室のような雰囲気のなか、大学院生が、果肉をすりつぶし、台所用洗剤や無水アルコール、アイスクリームの空容器などを使って実験を進める。アイスクリームの容器のなかに、DNAが白くふわふわした糸状になって現れると、じっと見つめていた参加者たちから小さな歓声が上がった。
「じゃあ、ドライマンゴーはどうかな?」「干し梅でやったら?」と提案が出る。試してみると、一番きれいにDNAが抽出できたのは干し梅だった。「それなら、ビーフジャーキーは?」「干したもののほうがきれいに取れるのは、なんでだろう?」という疑問がわいたところで時間切れとなった。

ボランティアへのニーズは、瓦礫撤去などの肉体労働から地域での生活支援に移行している。子どもの学習支援以外に私たちに何ができるだろうかと考えあぐねる状況にもなってきたが、住民とボランティアが直接向き合って語り合うには、横に科学を置いて一緒に眺めるというのも、お互いに気楽でいいかもしれない。次は、地域のお祭りに参加して、出店の横でサイエンス・カフェをやってみたい。

(東大医科学研究所准教授)(了)

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(11)臓器売買の公的市場管理論(武藤)

2011/07/25

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2011年7月25日掲載)
▽臓器売買の公的市場管理論▽武藤香織


日本国内での臓器売買は、死体も生体も含めて、法律で禁止されている。だが、この6月、国内では2件目となる臓器売買事件が発覚し、現在も捜査が進んでいる。生体臓器移植が認められるのは、日本移植学会の指針では親族間に限られる。1件目に続き今回も、それが偽装され、移植が実施された。だが、前回の事件と異なるのは、暴力団が臓器売買を仲介していた点である。臓器移植の仲介料が暴力団の資金源となっている現実に、移植関係者は大きな衝撃を受けている。

アメリカやイギリスでも臓器売買は禁止されているが、「臓器売買を公的機関が管理すれば、水面下の臓器売買が減少して健全化し、移植の機会も増えるのではないか」という議論がある。日本より脳死臓器移植が活発な国々でも、臓器不足は解消されず、腎臓や肝臓では、生体臓器移植に頼らざるを得なくなってきているためだ。

公的市場で臓器売買を管理する利点とはなんだろうか。まず、親族偽装がなくなることが予想される。臓器提供を希望する人と提供を受けることを希望する人を公的機関が仲介するためだ。親族への無償提供圧力も減るかもしれない。

また、悪徳ブローカー排除の可能性が高まることも利点だ。公的機関が仲介に乗り出すことで手続きが透明化され、暴力団が関与する余地がなくなることが期待される。

水面下で行われる臓器売買では、医学的な管理が不十分な状態で臓器が摘出、移植される例も多い。公的機関の関与によって、それが改善する可能性もある。タブレットPC欲しさに中国の高校生が腎臓を売ったという報道があったが、公的市場であれば、売る立場の人を年齢や健康状態によって制限できるかもしれない。

こうやって利点だけをみると、公的市場管理論は、何か理想的な解決法のようにも思える。しかし、実際に公的市場で臓器売買を管理している国はない。公的市場管理論を受け入れるには、「臓器を売る権利」を社会が容認する決断が必要であり、未だそこに踏み切った国はないことを意味する。

果たして我々は、経済的弱者が臓器を売って生き延びることを、「生存権」として認められるだろうか。日本では、公的市場管理論が広く検討されたことはない。難しい問題だが、議論する必要はある。まずは考え始めてみよう。

(東大医科学研究所准教授)(了)

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(10)放射線の影響 科学者の責務(武藤)

2011/06/06

◎サイエンスの小径(6月6日掲載)
▽放射線の影響 科学者の責務▽武藤香織


福島県飯舘村は、「日本で最も美しい村」連合に加盟する、景観の美しい内陸の村だ。内陸ゆえに、今回の震災で津波の影響は全く受けていない。だが、福島第1原発の事故で飛散した放射性物質による線量が高いとして、計画的避難地域に指定された。村では、6月上旬までに全村民の避難を完了させるという。

飯舘村の汚染を裏付けるのは、5月6日に発表された、福島第1原発から80キロ圏内の地表の汚染地図だ。このデータは、4月に文部科学省が米国エネルギー省と協力して航空機で観測したもので、地表1~2キロ四方ごとに放射性物質の蓄積量を測定している。この地図からは、風向きや地形によって、同じ市町村のなかでも、集落や地区によって、放射性物質の飛散状況が全く異なる結果になったことがうかがえる。

多くの住民が引っ越しを始める間際の週末、飯舘村での住民健診に参加した。住民からは、「屋内でゲームばかりさせていて、子どもが10キロ以上太った」「子どもを屋外で遊ばせずに過ごしていたら、口の周りに湿疹ができている」「農作業ができないストレスで酒量が増えた」などの声があがっていた。心身への影響が心配されるなか、引っ越し作業が進んでいる。

また、飯舘村周辺で開かれた放射線の影響に関する住民説明会では、「4月に生まれた子どもを母乳で育てていいのか」「ここより放射線量の高い地域の露地野菜はなぜ出荷停止になっていないのか」など、たくさんの質問が出た。ここで暮らしていく人は、子どもの外遊び、地元でとれた野菜や井戸水の摂取など、暮らしに密着した対応について知識を得たいという強い意欲がある。

きめ細やかな対応が求められるなか、自治体も疲弊している。原発事故当初は、自治体も混乱し、放射線量を測定すると言って入村した研究者を信頼して受け入れた。しかし、得られたデータを村には還元せず、先にマスメディアに流して風評被害の契機をつくった研究者もいたという。

シーベルトとベクレルの換算式を教えるよりも、それぞれの暮らしにあわせた被ばく線量の理解を促進することのほうが大切だ。同じ屋内でも、コンクリートで遮蔽された建物のなかで過ごす人と、木造家屋のなかで過ごす人では、気をつけることも異なる。科学者は、放射線の影響を、人々の暮らしに密着した知識として伝える責務がある。

(東大医科学研究所准教授)(了)

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(9)震災後の町とカーナビ(武藤)

2011/04/18

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2011年4月18日掲載)
▽震災後の町とカーナビ▽武藤香織


私は4月5日から1週間、東京都の災害ボランティア第一陣団長として宮城県に赴き、初めて災害ボランティア活動に参加した。数名で1チームとなって、作業道具を積んだレンタカーで被災地のボランティアセンターに向かい、さらにそこで指示を受けた現場に向かう。そして、黙々と、住宅に流れ込んだヘドロや油、流木、瓦礫を撤去し、道路から玄関や裏口までの通路を確保する作業をした。

一見、大きな被害がないように見える地区でも、ひとつ角を曲がると、瓦礫の山だ。またひとつ角を曲がると、住居の裏側で漁船が横転している。しかし、静けさのなかで人々の暮らしは再建され始めていた。

知らない土地を巡る我々の活動は、カーナビ(カーナビゲーションシステム)がなければ全く実現できなかった。だが、それでも困難を極めた。カーナビの指示に従ったら、壊滅状態とされる地区の道路を「推奨ルート」として案内されたことがあった。道を間違えると元のルートに戻るように案内する機能のおかげで、海水が満ちたままの道路からしばらく脱出できなかったことも。

被害の大きな現場で言葉を失っているときでも、とても明るい女性の声で「運転、お疲れさまでした!」と声をかけてきた。「カーナビは人間じゃなくて機械なんだから」と自分に言い聞かせつつも、車内の仲間がカーナビに抱く感情は、徐々に悪化していった。

カーナビのように、人への情報提供と機械への指令をやり取りする装置は、どんどん高度になっている。いつのまにか、機械に対して、人と同じような対応を求めるほどである。しかし、機械が与えてくれる情報をどう活用するのか、最終的に制御するのは、やはり人なのだ。

そんなカーナビが最も威力を発揮したのは、家屋が全壊している地域に入ったときである。瓦礫や船や車の山に周囲360度を囲まれ、震災前であれば目印になったであろう建物や番地は全く手掛かりにできない状況だった。だが、カーナビに搭載されていた、震災前の地図情報のおかげで、「目的地」が的確に案内され、瓦礫の中から家主が手を振って迎えてくれた。

このときばかりは、カーナビを抱擁したかった。そして、カーナビを通して、賑やかな鮮魚店が立ち並ぶ、震災前の街並みを想像した。被災地の一日も早い復興を願う。

(了)

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(8)「幹細胞治療」による被害(武藤)

2011/03/07

◎サイエンスの小径(3月7日掲載)
▽「幹細胞治療」による被害▽武藤香織


幹細胞という言葉をご存じだろうか。人間のあらゆる細胞に分化する可能性を秘めたES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)のような新しい幹細胞が近年知られるようになったが、もともと私たちの体の中にはたくさんの幹細胞がある。たとえば、骨髄にある造血幹細胞。この細胞が分裂、増殖し、赤血球や白血球などの血液成分になる。正常な血液を作れなくなった白血病患者に行われるのが、造血幹細胞移植だ。また、脂肪幹細胞は、乳房再建などに役立っている。

昨年11月、国際的な科学雑誌に、日本のある医療機関で、患者の脂肪を採取して脂肪幹細胞を抽出し、それを再び患者に注射で移植する行為が「幹細胞治療」として行われていることが報じられた。脂肪性幹細胞の抽出は韓国のベンチャー企業に委託しているという。幹細胞を送り込むことで、病気の原因となっている細胞や臓器を再生すると謳われているそうだ。だが、この「幹細胞治療」を受けた韓国人患者は死亡したと記事は伝えている。この例に限らず、「幹細胞治療」による死亡例は、各国で報告されている。

これらの行為は、医師の裁量による保険適用外の自由診療として行われており、直接規制する手段がない。費用も数百万円かかるといわれている。

幹細胞の制御は簡単でなく、未知の部分も多い。このため、国の研究指針では、幹細胞を安全に取り扱うための厳しい基準が定められ、高度な設備が必要とされる。しかし、医療行為には、この基準は適用されていない。

昨年3月、厚生労働省は、幹細胞を患者に投与する医師に、動物実験の結果や国による承認の有無を確認するよう通知を出した。そして、日本再生医療学会は今年1月、幹細胞による治療や臨床試験に臨む患者は、それが国に承認された治療や臨床試験であるかどうかを確かめるよう訴えた。

「幹細胞治療」は、時に新聞広告でも目にする。斡旋業者を通じて、海外の医療機関で機会を待つ患者もいる。他に治療手段がない患者にとっては、最後の希望のように見えることだろう。効果が未確認でも、健康被害の恐れがあっても、財産を取り崩してでも…と気持ちをかきたてられるだろう。被害を防ぐため、国に規制を求めることも必要かもしれないが、患者を支える人たちは、まず、その焦燥感にしっかり寄り添うことが大事なのではないだろうか。

(東大医科学研究所准教授)(了)

続きを読む

『医療現場における調査研究倫理ハンドブック』に寄せて(武藤)

2011/02/26

1997年、まだ学生だった私は、日本疫学会総会のときに開催された「疫学の未来を語る若手の集い」に参加し、疫学研究のインフォームド・コンセントに関する議論を客席から聞いていました。若手研究者自身が倫理のあり方を議論する現場は素晴らしいなあと感銘を受け、壇上にいた中山健夫さん(現在は京都大学大学院教授)に熱いお手紙を送ったことがご縁で、疫学者のコミュニティに関わらせていただくようになりました。

そして、この本の共著者の玉腰暁子さんが旧厚生省研究班長を買って出てくださり、疫学研究のインフォームド・コンセントを考える研究班が発足しました。

全く門外漢だった私ですが、この研究班の兄さん・姉さんたちに温かく受け入れて頂きました。そして、疫学の「いろは」から教えて頂きました。カルチャーショックを受けたり(たぶん与えてしまったりも)しながら議論を続け、その研究班の取り組みから生まれた「疫学研究におけるインフォームド・コンセントに関するガイドライン」は、やがて2002年、文部科学省・厚生労働省の「疫学研究に関する倫理指針」につながっていきました。

あれから、「一昔」相当の時間が経ちました。当時、自称「若手」だった方々は、いまや日本の疫学を背負う重鎮になられました。私も、医学・生物学系の大学院生に研究倫理を講じたり、社会科学系の大学院生と調査研究倫理のゼミをするような責務を担う立場になりました。

この10年間の最大の変化は、国が次々と研究倫理指針づくりに乗り出し、数々の研究倫理指針が生まれたことだと思います。つまり、研究の現場ではなく、審議会で指針をつくるプロセスが当たり前のものになったわけです。自分たちから遠いところでつくられた指針は、研究者にとって愛着がわかない存在かもしれません。

でも、疫学分野の研究者は、行政が動きだす前に、外部の人たちも交えて議論を闘わせることを思いつき、自主的なガイドラインを絞り出しました。専門家集団として素晴らしい取り組みをしたと思いますし、きっと後世でも評価される、はず…。

ぜひ多くの研究者に、国の指針策定や改正を待つだけでなく、自分たちで動いてルールをつくる醍醐味を、味わってほしいと願っています。

続きを読む

信濃毎日新聞コラム(7)臓器移植と大人の責任(武藤)

2011/01/24

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2011年1月24日掲載)
▽臓器移植と大人の責任▽武藤香織


昨年7月に臓器移植法が改正されて半年が過ぎた。この改正では、本人が臓器提供を拒否する意思表示をしていなければ、家族の同意で、脳死判定後の臓器提供が可能となった。また、世界でも珍しいルールとして、親子間、配偶者間での優先提供が認められた。そして、15歳未満の子どもからの臓器提供が認められた。

成人間での脳死臓器移植は、2009年は年間7例だったが、この半年間で31例と大幅に増えた。そのほとんどが、本人が意思を明示しておらず、家族によって承諾されたものである。突然の増加に伴って、脳死臓器移植を仲介する日本臓器移植ネットワークの負担も増している。提供者が出た際の記者会見でもあまり多くの情報は出てこない。

親族への優先提供は、この半年間で親子間、配偶者間で各1例が公表された。これまでの脳死臓器移植は、医学的必要性を根拠に公平に配分する原則で運用されてきた。親族への優先提供は、提供者を少しでも増やす目的で導入されたが、脳死臓器移植を家族という私的な領域に閉ざす道も認めたことになる。実の親子と配偶者に限ったのは、臓器提供目的の自殺や養子縁組を防止するためだ。

他方、子どもからの臓器提供は、まだ例がない。新聞報道などからは、脳死の可能性のある子どもはいたものの、悲痛な親に臓器提供の話を切り出す難しさや、虐待死でないことを確認する難しさが、浮き彫りになっている。

臓器移植法の改正による提供機会の広がりは、それぞれが新しい課題を生んでいる。透明性がより重視される反面、プライバシー保護も大切だ。適正な手続き執行の番人として、どこまでマスメディアが情報を求めてよいのかも、今後、問われていくだろう。

だが、最も心配なのは、自分で意思表示をする機会の確保である。私が生命倫理学を教える大学生45人に、家族と臓器移植について話し合ったことがあるかどうか聞いてみると、手を挙げたのはわずか3人だった。意思表示カードに意思を書き込むという行為は、親に書いてもらうのも、自分が書くのも気が重いという。医療技術のために、昔は考えなくてもよかったことを考えさせられるようになったのかもしれない。しかし、家族の思いを知る契機ととらえて、逃げ出さずに話題を切り出すのが、大人の新たな責任になったといえるのではないか。

(東大医科学研究所准教授)

続きを読む