信濃毎日新聞コラム(15)「キメラ胚の研究を考える」(武藤)

2012/01/16

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2012年1月16日掲載)
▽キメラ胚の研究を考える▽武藤香織


ある個体に、別の個体の細胞がまざった状態にある個体を、キメラと呼ぶ。これは、ギリシャ神話に登場する、ライオンの頭とヤギの胴体と蛇の尻尾を持つ怪獣「キマイラ」が語源となっている。動物実験ではすでに、羊とヤギ、ニワトリとウズラなどの異種間キメラがつくられている。しかし、動物と人のキメラは存在しない。

2001(平成13)年に国が策定した「特定胚の取扱いに関する指針」では、動物の体内で人の移植用臓器をつくることを目指した基礎研究に限り、人の細胞を含む動物胚、つまりキメラ胚をつくることが認められた。発生過程で動物と人の細胞がどのようにまざり、どのような機能を果たすかを検討するためだ。

そして今、移植用臓器の慢性的な不足を解消するための研究の一つとして、一部に人の要素を持つ動物胚をつくる研究が注目されている。具体的には、豚の体内で人の人工多能性幹細胞(iPS細胞)から膵臓をつくり、糖尿病などの患者に移植することを目指した再生医療の基礎研究だ。

指針では、キメラ胚は作成後14日以内に廃棄することが求められ、動物や人の体内に移植することは禁じられている。豚と人の細胞が混在する生き物が誕生してはならないと考えられているからだ。だが、人のiPS細胞が、本当に身体のあらゆる細胞に変わりうる細胞なのかどうかを調べるには、キメラ胚を培養し続け、「人の臓器らしくみえるもの」をもった動物の誕生まで見届ける必要がある。

果たして、「人の臓器らしく見えるもの」を有した状態で生まれた動物は、家畜と同様の地位を獲得するのだろうか。それとも、「人っぽさを持つ動物」という新たな存在として迎えるべきなのだろうか。

また、「人の臓器らしく見えるもの」は、実際に人の身体に移植して、臓器として機能するかどうかを確認しなければならない。もし人の臓器として機能したら、動物の体内で作成された臓器は、脳死体から摘出される臓器と同様に扱われるべきなのだろうか。

SFのように思えることが、まだ基礎研究の段階ながらも、現実味を帯びてきている。私たちの社会には、動物に人の臓器をつくってもらうことを受け入れる覚悟が本当にあるのだろうか。今から考え始めても遅くはない。

(東大医科学研究所准教授)(了)