信濃毎日新聞コラム(11)臓器売買の公的市場管理論(武藤)

2011/07/25

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2011年7月25日掲載)
▽臓器売買の公的市場管理論▽武藤香織


日本国内での臓器売買は、死体も生体も含めて、法律で禁止されている。だが、この6月、国内では2件目となる臓器売買事件が発覚し、現在も捜査が進んでいる。生体臓器移植が認められるのは、日本移植学会の指針では親族間に限られる。1件目に続き今回も、それが偽装され、移植が実施された。だが、前回の事件と異なるのは、暴力団が臓器売買を仲介していた点である。臓器移植の仲介料が暴力団の資金源となっている現実に、移植関係者は大きな衝撃を受けている。

アメリカやイギリスでも臓器売買は禁止されているが、「臓器売買を公的機関が管理すれば、水面下の臓器売買が減少して健全化し、移植の機会も増えるのではないか」という議論がある。日本より脳死臓器移植が活発な国々でも、臓器不足は解消されず、腎臓や肝臓では、生体臓器移植に頼らざるを得なくなってきているためだ。

公的市場で臓器売買を管理する利点とはなんだろうか。まず、親族偽装がなくなることが予想される。臓器提供を希望する人と提供を受けることを希望する人を公的機関が仲介するためだ。親族への無償提供圧力も減るかもしれない。

また、悪徳ブローカー排除の可能性が高まることも利点だ。公的機関が仲介に乗り出すことで手続きが透明化され、暴力団が関与する余地がなくなることが期待される。

水面下で行われる臓器売買では、医学的な管理が不十分な状態で臓器が摘出、移植される例も多い。公的機関の関与によって、それが改善する可能性もある。タブレットPC欲しさに中国の高校生が腎臓を売ったという報道があったが、公的市場であれば、売る立場の人を年齢や健康状態によって制限できるかもしれない。

こうやって利点だけをみると、公的市場管理論は、何か理想的な解決法のようにも思える。しかし、実際に公的市場で臓器売買を管理している国はない。公的市場管理論を受け入れるには、「臓器を売る権利」を社会が容認する決断が必要であり、未だそこに踏み切った国はないことを意味する。

果たして我々は、経済的弱者が臓器を売って生き延びることを、「生存権」として認められるだろうか。日本では、公的市場管理論が広く検討されたことはない。難しい問題だが、議論する必要はある。まずは考え始めてみよう。

(東大医科学研究所准教授)(了)