信濃毎日新聞コラム(8)「幹細胞治療」による被害(武藤)

2011/03/07

◎サイエンスの小径(3月7日掲載)
▽「幹細胞治療」による被害▽武藤香織


幹細胞という言葉をご存じだろうか。人間のあらゆる細胞に分化する可能性を秘めたES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)のような新しい幹細胞が近年知られるようになったが、もともと私たちの体の中にはたくさんの幹細胞がある。たとえば、骨髄にある造血幹細胞。この細胞が分裂、増殖し、赤血球や白血球などの血液成分になる。正常な血液を作れなくなった白血病患者に行われるのが、造血幹細胞移植だ。また、脂肪幹細胞は、乳房再建などに役立っている。

昨年11月、国際的な科学雑誌に、日本のある医療機関で、患者の脂肪を採取して脂肪幹細胞を抽出し、それを再び患者に注射で移植する行為が「幹細胞治療」として行われていることが報じられた。脂肪性幹細胞の抽出は韓国のベンチャー企業に委託しているという。幹細胞を送り込むことで、病気の原因となっている細胞や臓器を再生すると謳われているそうだ。だが、この「幹細胞治療」を受けた韓国人患者は死亡したと記事は伝えている。この例に限らず、「幹細胞治療」による死亡例は、各国で報告されている。

これらの行為は、医師の裁量による保険適用外の自由診療として行われており、直接規制する手段がない。費用も数百万円かかるといわれている。

幹細胞の制御は簡単でなく、未知の部分も多い。このため、国の研究指針では、幹細胞を安全に取り扱うための厳しい基準が定められ、高度な設備が必要とされる。しかし、医療行為には、この基準は適用されていない。

昨年3月、厚生労働省は、幹細胞を患者に投与する医師に、動物実験の結果や国による承認の有無を確認するよう通知を出した。そして、日本再生医療学会は今年1月、幹細胞による治療や臨床試験に臨む患者は、それが国に承認された治療や臨床試験であるかどうかを確かめるよう訴えた。

「幹細胞治療」は、時に新聞広告でも目にする。斡旋業者を通じて、海外の医療機関で機会を待つ患者もいる。他に治療手段がない患者にとっては、最後の希望のように見えることだろう。効果が未確認でも、健康被害の恐れがあっても、財産を取り崩してでも…と気持ちをかきたてられるだろう。被害を防ぐため、国に規制を求めることも必要かもしれないが、患者を支える人たちは、まず、その焦燥感にしっかり寄り添うことが大事なのではないだろうか。

(東大医科学研究所准教授)(了)