信濃毎日新聞コラム(9)震災後の町とカーナビ(武藤)

2011/04/18

◎サイエンスの小径(信濃毎日新聞2011年4月18日掲載)
▽震災後の町とカーナビ▽武藤香織


私は4月5日から1週間、東京都の災害ボランティア第一陣団長として宮城県に赴き、初めて災害ボランティア活動に参加した。数名で1チームとなって、作業道具を積んだレンタカーで被災地のボランティアセンターに向かい、さらにそこで指示を受けた現場に向かう。そして、黙々と、住宅に流れ込んだヘドロや油、流木、瓦礫を撤去し、道路から玄関や裏口までの通路を確保する作業をした。

一見、大きな被害がないように見える地区でも、ひとつ角を曲がると、瓦礫の山だ。またひとつ角を曲がると、住居の裏側で漁船が横転している。しかし、静けさのなかで人々の暮らしは再建され始めていた。

知らない土地を巡る我々の活動は、カーナビ(カーナビゲーションシステム)がなければ全く実現できなかった。だが、それでも困難を極めた。カーナビの指示に従ったら、壊滅状態とされる地区の道路を「推奨ルート」として案内されたことがあった。道を間違えると元のルートに戻るように案内する機能のおかげで、海水が満ちたままの道路からしばらく脱出できなかったことも。

被害の大きな現場で言葉を失っているときでも、とても明るい女性の声で「運転、お疲れさまでした!」と声をかけてきた。「カーナビは人間じゃなくて機械なんだから」と自分に言い聞かせつつも、車内の仲間がカーナビに抱く感情は、徐々に悪化していった。

カーナビのように、人への情報提供と機械への指令をやり取りする装置は、どんどん高度になっている。いつのまにか、機械に対して、人と同じような対応を求めるほどである。しかし、機械が与えてくれる情報をどう活用するのか、最終的に制御するのは、やはり人なのだ。

そんなカーナビが最も威力を発揮したのは、家屋が全壊している地域に入ったときである。瓦礫や船や車の山に周囲360度を囲まれ、震災前であれば目印になったであろう建物や番地は全く手掛かりにできない状況だった。だが、カーナビに搭載されていた、震災前の地図情報のおかげで、「目的地」が的確に案内され、瓦礫の中から家主が手を振って迎えてくれた。

このときばかりは、カーナビを抱擁したかった。そして、カーナビを通して、賑やかな鮮魚店が立ち並ぶ、震災前の街並みを想像した。被災地の一日も早い復興を願う。

(了)