2024年3月まで当研究室で勤務されていた、亀山純子さん(筑波大学人文社会系哲学・
Junko Kameyama, Satoshi Kodera, Yusuke Inoue
Ethical, legal, and social issues (ELSI) and reporting guidelines of AI research in healthcare. PLOS Digital Health September 19, 2024
本研究は、東京大学医学部附属病院の小寺聡医師との共同研究です。
この論文では、「社会や患者との連携に関するガイドライン作成者の取り組み」と「ガイドラインの限界と研究者の主体的な取り組みの必要性」の、大きく2つの論点を抽出しました。それらを考察し、今後も医療AIが人々に支えられて発展していくためには、報告ガイドラインの継続的な見直しが不可欠となること。また、次のステップとして、ガイドライン間の調和を図り、報告ガイドラインを臨床面におけるAIの実践に関する議論と結びつけることが重要であると結論づけています。
ここへ至るには、研究に携わる他の皆さんと同様に、見たこともない難解な専門用語群を調べ、長短様々な形式で書かれている論文の内容の整理に頭を悩ませ、ヒントになりそうな関連文献を日々漁りました。とりわけ、ガイドラインの開発者との専門的立場の違いから、自身の解釈方法の妥当性と整合性をはかることが最大の難関であったかもしれません。そういった作業の中で、医療AIをとりまく研究開発の速度と複雑性に、現在のAI研究開発に向けたガイドライン・ガイダンスは、必ずしも追いついてはいない。ということを強く感じました。このことを実感できたことは、次の取り組みに向けて大きな学びの1つであったと考えています。
執筆から実に1年以上の月日を要しました。諦めかけ、その度に井上先生に助けていただきました。研究の成果を論文にて公刊することができ、本当によかったです。本当にありがとうございました。(文責・亀山)
特任研究員の木矢です。Regenerative Therapy誌に、ヒト胚の14日を超える体外培養に関する体外受精・顕微授精経験者の態度に関する論文が公開されました。
Yukitaka Kiya, Saori Watanabe, Kana Harada, Hideki Yui, Yoshimi Yashiro, Kaori Muto.
Attitudes of patients with IVF/ICSI toward human embryo in vitro culture beyond 14 days.
Regenerative Therapy. 2024. 26: 831-836.
https://doi.org/10.1016/j.reth.2024.09.005
東大医科研からプレスリリースを出しましたので、論文とあわせてご覧下さい。
2021年5月、国際幹細胞学会(ISSCR)は「幹細胞研究・臨床応用に関するガイドライン」を改訂しました。この改訂により、ヒト胚の受精後14日以降もしくは原始線条の形成以降の体外培養を禁止する、いわゆる「14日ルール」は禁止項目から外されました。ISSCRはルールを緩和する場合、社会からの広い支持を求めていますが、研究用のヒト胚の提供を依頼されうる体外受精・顕微授精経験者が14日ルールの延長をどのように考えているのかは明らかではありませんでした。加えて、近年胚モデルを用いた医学研究も進展していますが、胚モデルに関する態度についても明らかにする必要性がありました。そこで、体外受精・顕微授精経験者を対象に、ヒト胚の14日を超える体外培養と胚モデルの研究利用をどのように評価しているのか、その理由を含めて明らかにしました。
体外受精・顕微授精経験者はヒト胚の14日を超える体外培養について全体的に肯定的に評価する傾向があり、その評価には6つの理由があることを明らかにしました。反対に、否定的な評価には2つの理由があることを示しました。
胚モデルの研究利用について、調査協力者の約7割が肯定的に評価していました。しかし、肯定的な評価をしている人の中でも、胚モデルに対する倫理的な抵抗感や胚モデルを用いた研究結果に対する不信感も語られており、肯定的な評価を下すからといって懸念がないわけではないことが示唆されました。
体外受精・顕微授精経験者はヒト胚の提供者になりうるだけでなく、再生医療や幹細胞研究の恩恵を受ける人びとでもあります。再生医療や幹細胞研究に関する「対話」において、体外受精・顕微授精経験者の関与も必要です。政府および科学コミュニティに対して、「対話」の前に医学研究についての十分な知識を提供する必要があること、胚モデルに対する抵抗感や不信感など多様な意見に耳を傾ける必要があること、体外受精・顕微授精経験者の心理的な安全を確保することが必要であること、体外受精・顕微授精経験者の肯定的な意見のみに基づいて14日ルールを早急に延長することは避けなければならないことを指摘しました。(文責・木矢)
博士課程の佐藤です。Asian Bioethics Reviewに、ゲノム研究のデータの多様性に関する論文が掲載されました。
Sato, M., Muto, K., Momozawa, Y, and Joly Y. (Not So) Lost in Translation: Considering the GA4GH Diversity in Datasets Policy in the Japanese Context. Asian Bioethics Review (2024). https://doi.org/10.1007/s41649-024-00305-5
近年、ゲノム情報を利用した病気の診断や治療を誰でも受けられるよう、その基盤になるゲノム研究の対象者も一部の人に偏らせずに、様々な人々に参加してもらおう、という動きがあります。
これに対し、ゲノムデータ利用の国際的な枠組みを作っているGA4GH (Global Alliance for Genomics and Health) という団体が、それぞれの科学者がどのようにこの動きを実践していけばよいか、というガイドを発表しました。
この論文は、そのガイドが、日本でどのように適用できるかということを検討したものです。もちろんGA4GHが想定する「様々な人々」と日本社会の「様々な人々」は、重なる部分も当てはまらない部分もありますが、日本でも社会的な背景を踏まえて検討し続けることが重要だと考えます。
本研究はGA4GHのガイド策定に関わったカナダMcGill大学のYann Joly先生との共同研究です。昨年のカナダ滞在の成果を出せて嬉しく思っております。
なお、この論文はオープンアクセスでどなたでも閲覧できます。こちらからご確認ください。
李です。博士学位論文をもとにした書籍を刊行いたしました。
李怡然. 2024. 遺伝について家族と話す―遺伝性乳がん卵巣がん症候群のリスク告知. ナカニシヤ出版.
本書は、遺伝性のがんのリスクについて家族内でどのようなコミュニケーションが行われているか、遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)の患者・家族へのインタビュー調査をもとに、その多様なあり方に迫ろうとしたものです。
がんは環境要因と遺伝要因が複雑に組み合わさることで生じる病気ですが、その一部は、生まれつきの遺伝子の変化が大きく関与するとわかっています。予防や治療など何らかの行動(action)につながる疾患の情報は、医学的に「対処可能」(actionable)とみなされ、当事者が遺伝学的検査を受けてリスクを知り、さらには血縁者にも情報共有することが期待されるようになりました。HBOCはその代表例として知られています。
そこで、HBOCの診断を受けた、あるいはその可能性がある患者さんとご家族が、遺伝に関するリスクをどう受け止め、いつ、誰に、どのように伝えようとするのかを明らかにしました。
親から子へ、子以外の家族・親族へ伝える上で、生じる葛藤や困難さは異なっていました。医学的な「対処可能性」は、確かに判断する際の重要な要素にはなっていたものの、実際には各々が遺伝学的検査や診療を受けた過程の経験、重視する価値観、相手との関係性によって、コミュニケーションはずっと複雑となりえます。
この先は、病気になる前から将来の発症リスクを予測することが、もっと当たり前の時代になっていくと予想されます。「知る」こと、対処できることが増えることが、私たちの生き方に何をもたらすのか、という問いかけも込めたつもりです。
貴重な経験を語って下さった調査協力者の皆様、多くの関係者のご尽力あって成果としてまとめられたことに、心より感謝申し上げます。
【追記】本学教員による著作の紹介サイトUtokyo BiblioPlazaでも、学術成果刊行助成による支援を受けた著作としてご紹介をしています。
◆本の目次:
まえがき
用語集
<第Ⅰ部 遺伝性疾患について知る/知らないでいること、伝えること>
第1章 家族内での遺伝をめぐるコミュニケーション
1 遺伝性のがんについて家族と情報共有することはなぜ重要視されているのか
2 本書のテーマと問い
第2章 遺伝/ゲノム医療の専門職の規範はどう変わってきたか
1 「知らないでいる権利」を尊重する規範の成立
2 対処可能性に基づく「知る」ことの推奨と規範のゆらぎ
3 日本におけるがんゲノム医療の課題:二次的所見をどう取り扱うか
4 血縁者との情報共有のガイドライン
5 小 括
Column1 遺伝/ゲノム医療に関わる専門職
第3章 患者・家族の「告知」をめぐる先行研究
1 遺伝性疾患の家族内のコミュニケーションに関する研究
2 「告知」という研究枠組み
3 本書における調査課題と対象の設定
Column2 医療者は患者の同意なく血縁者に告知してよいのか
<第Ⅱ部 HBOC患者と家族へのインタビュー調査>
第4章 調査の対象と概要
1 遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)とは何か
2 調査の目的
3 調査方法
4 調査結果の章構成
第5章 遺伝学的検査とリスク低減手術にまつわる意思決定
1 調査協力者の属性
2 遺伝学的検査の受検に至るまで
3 検査結果を「知る」ことのインパクト
4 遺伝学的検査を受検しない理由
5 リスク低減手術の意思決定
6 小 括
第6章 親から子へのリスク告知
1 調査協力者の属性
2 遺伝について伝えるステップと役割の認識
3 遺伝について伝える:子の発症前検査への態度に着目して
4 遺伝について伝えない
5 遺伝について伝えられた子の受け止め
6 小 括
第7章 血縁者・親族へのリスク告知
1 調査協力者の属性
2 伝えることへの責任感
3 伝えることに伴うジレンマ
4 小 括
第8章 リスク告知のパターンと多様な価値観
1 遺伝性疾患のリスク告知のモデル
2 告知の意思決定に関わる要素
3 告知の困難さと乗り越える戦略
4 親としての子の結婚・出産への気がかり
5 家族内のピアとして子を支える
6 医療者の告知における関わりの限定と可能性
第9章 ゲノム医療の時代を生きる当事者=私たち
1 臨床の実践や支援への示唆
2 予測・予防が求められる社会の「リスク告知」
あとがき
Abstract
博士課程の佐藤です。『生命倫理』に「研究に先立つ協議と自由意思による同意(Free, Prior, and Informed Consent: FPIC)」に関する論文が掲載されました。
佐藤桃子、井上悠輔、武藤香織「FPIC(研究の開始に先立つ協議と自由意思による同意)概念の検討—アイヌ民族研究の倫理指針案を手がかりに—」『生命倫理』33号、2023年
https://doi.org/10.20593/jabedit.33.1_61
現在、北海道アイヌ協会・日本人類学会・日本考古学協会・日本文化人類学会は「アイヌ民族に関する研究倫理指針」を策定中です。2020年12月に公表されたこの指針の案には、日本の研究ガイドラインで初めてFPICという概念が導入されているため、この概念の背景と日本に導入することの意義・課題を検討しました。
FPICは、元々は先住民族の土地やエネルギーの開発問題から生まれた概念です。国連を中心とした議論により、先住民族に関わる資源開発では事前に先住民族と協議することが求められるようになったのと同時期に、ヒトDNAの研究でもゲノムデータだけを搾取するような研究が問題視されたことから、ゲノム研究においてもFPICが言及されるようになってきました。FPICの理念を組み込んだ研究倫理ガバナンスの実践はカナダや台湾でも見られます。
この概念が日本に導入されると、日本で初めて研究倫理において個人に対するインフォームド・コンセントの枠組みを超えて、アイヌ民族の集団的な研究参画の権利が尊重されることになります。一方で、元々は先住民族の自治権から生まれたFPICが、研究参画の協議という形で実践されていくことになるため、ガイドラインの完成後も継続したモニタリングが必要と考えます。
博士後期課程の高嶋です。
この度、幹細胞臨床試験の参加者によるソーシャルメディア投稿に関する論文が、Regenerative Therapy誌(オンライン/オープンアクセス)で公開されました。
Takashima K, Minari J, Chan S, Muto K. Hope for the best, but prepare for the worst: Social media posted by participants in stem cell clinical trials. Regen Ther. 2023;24:294-297. Published 2023 Aug 9. doi:10.1016/j.reth.2023.07.009
この論文では、幹細胞臨床試験に参加された方が、研究への参加経験についてソーシャルメディアに投稿することの影響について検討し、暫定的な推奨事項をまとめています。
臨床試験に関するソーシャルメディアの活用は、研究プロジェクトの経過や研究結果の普及、試験参加者の募集、医学研究に関する情報の提供などにおいて、様々な利点が報告されています。一方で、ソーシャルメディアを通じて臨床試験の参加基準に適合しないにも関わらず参加を可能とするような情報交換に用いられるケースが報告されていることや、まだ安全性や有効性が証明されていない治療法を、意図せずに最先端治療として広告するの役割を担う可能性への懸念などが指摘されています。
この論文では、幹細胞臨床試験の研究参加者がソーシャルメディアを使用する場合に、投稿の意図とは異なる影響を与える可能性として、①科学的妥当性に与える影響、②過度の期待を高める可能性、そして③研究の機密性に関する懸念について検討しました。その上で、研究者側からアプローチできることとして、1)研究参加候補者とのインフォームド・コンセントのプロセスで、ソーシャルメディアへの投稿に起因する影響について説明を行う、2)研究参加者がソーシャルメディアへの投稿を希望する背景にある問題に着目して、その問題への対応を試みる、3)ソーシャルメディアの価値ある利用や、意図しない悪影響を防ぐ方法について研究参加経験者とともに検討する、4)特定の規制や制度に関する誤解を避けるために、その規制や制度に関する正確な情報を提供するという、暫定的な推奨事項をまとめました。
特任研究員の渡部です。このたび、博士論文を基にした単著が刊行されます。
渡部沙織, 2023, 『難病対策の形成と変容−疾患名モデルによる公費医療のメカニズム』東京大学出版会.
本書は、戦後の日本で難病政策とその公費医療が形成された過程を、研究医や国の研究班、国立療養所や国立病院などに着目し、主に公的資料や統計資料に基づいて歴史社会学と医療社会学の観点から分析・記述したものです。
難病の領域では、国民皆保険を通じて全ての国民の健康と生命を幅広く保障する一般医療政策とは異なる形態の公費医療政策がおこなわれてきました。戦後の皆保険制度の中で難病政策が公費医療/研究事業としてどのように萌芽し、その役割を果たしてきたのかを検証しています。
また、制度を実践する空間として、旧国立結核療養所の国立病院などに設けられた難病病床について、その実相を病床統計の推移から検証するとともに、様々な研究班の資料や病院史、医師のオーラルヒストリーなども含めて記述しています。終戦直後に日本に化学療法がもたらされたことにより結核が治癒できる疾患となり、疾患構造の急速な変化とともに旧国立結核療養所が主に神経難病の患者を受け入れる難病病床へ変容していきました。これまで医療政策研究であまり明らかになってこなかった国立療養所や国立病院などの日本の公的病床と難病の歴史的な関係について、歴史社会学的な分析をおこなっています。
大学図書館などでお手に取って頂ける機会がございましたら、ご高覧を賜れましたら幸甚です。
目次
序章 福祉国家の保険制度と難病政策
- 戦後の福祉国家における難病政策
- 難病対策要綱体制と疾患名モデル
- 先行研究の検討と本書の視座
- 分析方法と資料
第1章 医科学研究事業としての公費負担医療の萌芽:スモン対策から難病へ
- 先行研究と視点:公費負担医療の正当化論とスモン対策
- 国費研究班の組織化
- スモン研究班の変容
- 特定疾患スモン調査研究班への移行
第2章 研究医と難病病床:国立療養所の病床構造転換
- 先行研究と視点:戦後の国立療養所・国立病院の病床構造
- 国立療養所宇多野病院にみる難病病床の変遷
- 疾患名モデルの存立基盤:研究医の志向と国立療養所の転換
- 国立療養所の病床構造の統計推移
第3章 疾患名モデルとその拡張
- 先行研究と視点:疾患名モデル
- 医療費助成から福祉事業へ:研究事業と財政拠出の多様化
- 2000 年代、対象拡大と財政制約
- 社会保障化と患者負担:対象拡大の代償
第4章 難病政策の国際的な三類型:疾患名モデルに基づく難病政策の展開
- 先行研究:医療政策における難病政策の位相
- 欧州の難病政策とその形態
- 米国の難病政策とその形態
- 難病政策の三類型
終章 日本型難病モデルの行方
一次資料(統計資料 図書資料)
付表 難病の研究班の推移
後期博士課程の楠瀬です。
この度、医学研究へのクラウド・コンピューティングの利用とゲノム・データやパーソナル・ヘルス・レコード(個人の健康や医療に関する記録情報)の共有に関する一般市民を対象とした意識調査の結果をまとめた論文がHuman Genome Variation誌(オンライン/オープンアクセス)で公開されました。
Kusunose, M., Muto, K. Public attitudes toward cloud computing and willingness to share personal health records (PHRs) and genome data for health care research in Japan. Hum Genome Var 10, 11 (2023). https://doi.org/10.1038/s41439-023-00240-1
https://www.nature.com/articles/s41439-023-00240-1
健康医療ビッグデータなどの利活用の重要性が指摘されており、諸外国では全国規模の電子カルテシステムを連携させ、収集されたデータの保健分野や医療の改善への利用のほか、医学研究に利用する試みも行われていますが、失敗例も報告されています。他方クラウド・コンピューティング(以下、クラウド)の利用に関しても、利点とともに様々な問題点も指摘されています。
日本においてもデジタルヘルス改革のもと、パーソナル・ヘルス・レコード(個人の健康や医療に関する記録情報;以下、PHR)のクラウドによる共有や、医療・介護データの利活用に向けた整備が進められています。しかし、PHRデータの共有を求められる一般市民がどのように考えているのかに関する調査は殆ど見られません。
そこで2021年3月に医学研究へのクラウド・コンピューティングの利用とゲノム・データやPHRデータ共有への意向、そして、それらの意向にデジタルヘルスの基礎的リテラシーや商品やサービスと交換可能なポイント(以下、ポイント)などが与える影響について、一般市民を対象に意識調査を行い、5,830人(回答率20.4%)の方から回答をいただきました。
その結果、本人が特定されるような情報を取り除いたPHRデータ(カルテデータ、健康診断データ、遺伝子検査データ、スマートフォンの健康アプリデータ、ウェアラブルデバイスの健康データ)の医学研究への共有に対する懸念はデータの種類による差はなく、情報漏洩(≧55.5%) 、本人の知らないところでのデータ利用(≧50.4%)、情報の不正利用(≧48.8%)が上位の共通する懸念として抽出されました。また、本人が特定される情報を取り除いたデータを利用する場合であっても、遺伝子検査データでは約5割(49.5%)、その他の種類のデータではおよそ4割(≧38.5%)の回答者が、本人が特定されるのではないかとの懸念を抱いていることが分かりました。加えて、これらの懸念は、セキュリティなどクラウドのシステム的な問題とも重なることが分かりました。さらに医学研究へのデータ共有の意向は、デジタル・ヘルスに関する基礎的リテラシーと関連があり、ポイントによるインセンティブの影響は限定的である可能性が示唆されました。
クラウドを利用したゲノム研究においては、クラウド利用者(研究者)と研究参加者の構造的な脆弱性が生じている可能性もあり、これらの脆弱性克服のためにも患者市民参画が重要な役割を果たすことが期待されます。
国を跨いだ政策調整がすすむ「個人情報」保護とは対照的に、人の細胞・試料の流通については、各国間で多様なルールが存在しています。多くの先進国では90年代前後に、人の細胞・試料をめぐる立法の再編が進みましたが、日本では議論自体が中断して今日に至っています。
我々の検討によれば、日本では、人の細胞・組織の「提供」に関する国の政策文書が約30に分かれて存在してきました。現行のものでも、古い規定は実に1940年代に遡るなど、研究の展開に対応する形で更新されていない面があります。
とりわけ注目されるのは、細胞・組織の「無償原則」をめぐる混乱です。研究活動への提供やその後の流通における対価の設定のあり方をめぐって、分野ごとに「無償」の採否やその内容が検討された結果、言葉の定義が異なっていたり、根拠が明確でない形で制約が設けられてきたりしました。国内では人サンプルをめぐる規範が定まらない中、海外からは胎児試料を含む多種多様な人体由来試料を安価に購入できる状況があるなど、いわゆる二重基準が生じています。
再生医療の展開やバイオバンク、ヒト全ゲノム解析の進行など、人試料の領域を超えた活用はますます重要なものとなっていますが、その一方、提供や流通をめぐる決定や手続の多くが不透明であったり、場当たり的に展開したりしている現状の不安定さが示唆されます。研究開発と市民・社会とが目標を共有し、一方で、情報不足や思い込みで保たれている短期的な「平穏」に安住しないよう、そして倫理指針が真に「倫理」をめぐる指針となるよう、議論を再開するべきではないでしょうか。
Inoue Y., Masui T., Harada K., Hong H., Kokado M. Restrictions on monetary payments for human biological substances in Japan: The mu-shou principle and its ethical implications for stem cell research. Regen. Ther. 2023. In press.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2352320423000147
※フリーアクセスですので、PDF版も含め、無料でご覧いただけます。
写真1は研究用試料のイメージ(フリー素材)。写真2は関連する日本国内のルール(一部)。詳細は論文を参照ください。
特任研究員の木矢です。「保健医療社会学論集」に遺伝学的リスクの告知・非告知に関する論文が掲載されました。
木矢幸孝
「告知しうる側」はどのような配慮を行っているのか?―遺伝学的リスクに関する告知と非告知の共通項に着目して
『保健医療社会学論集』第33巻2号, 2023
遺伝医療の進展によって遺伝性疾患の原因遺伝子が特定され、人々は自己の疾患が遺伝性疾患であることを知るようになってきました。遺伝情報は生涯変化せず、親子(血縁者)間で一部を共有しているため、遺伝性の病いに罹患した人々は遺伝学的リスクの告知の問題に直面します。本論文では、遺伝学的リスクに関する告知と非告知の共通項に着目しつつ、告知しうる側における配慮のあり方を検討しました。
その結果、告知・非告知にかかわらず、両者は「子の利益」の考慮という点で配慮のあり方は同一であることを提示しました。同時に、帰結の差異について、一方は子の「自律性の尊重」を重視し、他方は子の「危害の回避」を重視していることを示しました。最後に、両者は配慮の不確実性の中で「子の他者性」が意識されることを指摘しました。
今後は、告知の受容のあり方を含めた「告知後」に関する検討が必要だと考えています。
助教の李です。全ゲノム解析研究に関するがん患者・がん患者の家族・市民の期待や懸念を明らかにした論文が公開されました。
Izen Ri, Junich Kawata, Akiko Nagai, Kaori Muto
Expectations, concerns, and attitudes regarding whole-genome sequencing studies: a survey of cancer patients, families, and the public in Japan
Journal of Human Genetics, 12 December 2022(オンライン早期公開、オープンアクセス)
https://doi.org/10.1038/s10038-022-01100-6
診断が困難な疾患の診断方法や新規治療法の開発を目指して、全ゲノム解析を行う研究が国際的に進められています。その対象となりうるがん患者やがん患者の家族の期待や懸念は、これまで日本で明らかにされていませんでした。
そこで、2021年3月にウェブ質問紙調査を実施し、がん患者1204名、がん患者の家族5958名、市民2915名の計10,077名から回答を得ました。
結果として、がん患者の全ゲノム解析研究に関する認知度は高くないものの、病気の診断や治療に有益であると期待をもっていました。他方で、がん患者とがん患者の家族は遺伝情報の保護に懸念を抱き、また、とくに家族は解析結果を知ることによる不安、遺伝性疾患がわかった場合に不利な取扱いを受ける可能性を心配していました。
国は現在、がんと難病の患者を対象に10万人規模の「全ゲノム解析等実行計画」を推進しています。全ゲノム解析では多様な疾患領域の結果が明らかになる可能性があり、長きにわかってフォローが必要となります。これに対応した研究参加者の相談・意思決定支援の体制や、遺伝的特徴・遺伝情報に基づく差別を防止する体制の整備が不可欠といえます。
この調査では20-30代の回答者数が限られており、また、調査時点からは少しずつ周知や啓発が進みつつあります。今後は、特に全ゲノム解析の成果が期待される希少難治性がんや、小児・AYA(Adolescent and Young Adult)世代のがん患者と家族の期待や懸念を継続的に把握し、意見を反映させる取組みが大切だと考えます。
■くわしくは以下のプレスリリースもご覧ください。
特任研究員の木矢です。『保健医療社会学論集』に保因者の遺伝学的リスクの意味づけに関する以下の論文が掲載されました。
木矢幸孝
「遺伝学的リスクの意味づけに関する別様の理解可能性」
保健医療社会学論集,33(1): 56-65,2022年7月.
遺伝学的検査の出現は人々に自身の遺伝学的リスクと向き合うことを可能にしています。先行研究では、主として遺伝学的リスクを有する個人はそのリスクに対して罪悪感や責任感等を抱いていることを示してきましたが、遺伝学的リスクを「大きな問題」ではないと語る人々の経験は十分に分析されていませんでした。そこで遺伝学的リスクを「大きな問題」として捉えていない球脊髄性筋萎縮症(SBMA)保因者の語りをN. Luhmannの「リスク」概念と「危険」概念を用いて分析することで、遺伝学的リスクの意味づけに関して、これまでとは別様の理解を示すことを目的に検討をしました。
その結果、遺伝学的リスクを「大きな問題」ではないと語る人とそうでない人はリスクの意味内容が異なり、両者には保因者の役割や子どもに対する責任の所在において差異があることを示しました。同時に、両者は遺伝学的リスクの問題化の認識において、時間軸上にずれがあることを提示しました。
遺伝学的リスクの意味づけの仕方は個々人によって異なりますが、その意味づけの背景や理由まで含めて理解することが大切だと感じています。その一端を明らかにできたことが今回の拙稿の意義だと思います。
研究業績はresearchmapよりご確認ください。
永井です。地方自治体が公表した新型コロナウイルス感染症の感染者に関する情報について調査した結果をまとめた論文が公開されました。
永井亜貴子、李怡然、藤澤空見子、武藤香織
地方自治体におけるCOVID-19感染者に関する情報公表の実態:2020年1月~8月の公表内容の分析
日本公衆衛生雑誌 早期公開(第69巻第7号に掲載予定)
DOI: https://doi.org/10.11236/jph.21-111
厚生労働省は、地方自治体への事務連絡で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を含む一類感染症以外の感染症に関わる情報公表について、「一類感染症が国内で発生した場合における情報の公表に係る基本方針」(基本方針)を踏まえた適切な情報公表に努めるよう求めています。しかし、自治体が公表した情報を発端として生じた感染者へのスティグマへの懸念が指摘されており、新型コロナウイルス感染症対策分科会の偏見・差別とプライバシーに関するワーキンググループのこれまでの議論の取りまとめにおいても、地方自治体による公表がCOVID-19感染者等への差別的な言動の発端となった事例があると報告されています。
そこで、本研究は、地方自治体におけるCOVID-19の感染者に関する情報公表の実態を明らかにすることを目的として、都道府県・保健所設置市・特別区が2020年1~8月に公式ウェブサイトで公開していたCOVID-19感染者に関する情報を収集しました。収集した情報について、厚生労働省が基本方針で参考とするように求めている「一類感染症患者発生に関する公表基準」(公表基準)で示されている項目の公表の有無、感染者の個人特定につながる可能性がある情報が含まれていないかを確認し、公表時期による公表内容の違いがあるかを分析しました。
その結果、公表基準で非公表と示されている感染者の国籍・居住市区町村・職業が公表されており、2020年4月以降では居住市区町村・職業を公表する自治体が増加していることがわかりました。また、公表内容に感染者の勤務先名称や、感染者の家族の続柄・年代・居住市区町村などの個人特定につながりうる情報が含まれている事例があることも明らかとなりました。
COVID-19患者の国内発生1例目から2年以上が経過し、その特徴や感染経路などが明らかになってきた現状において、感染者の個人情報やプライバシーを保護しつつ、感染症のまん延防止に資するCOVID-19に適した情報公表のあり方を検討することは、喫緊の課題と考えられます。また、検討により決定した情報公表の方法や内容については、市民や報道機関に丁寧に説明し、理解を得ることが必要であると考えています。
本研究が、COVID-19に関する情報公表の基本方針の見直しや、今後の新興感染症に備えた議論の一助になれば幸いです。
厚生労働科学研究費補助金「医療AIの研究開発・実践に伴う倫理的・法的・社会的課題に関する研究」(政策科学総合研究事業(倫理的法的社会的課題研究事業))の成果をまとめました。総論の他、以下の分担研究報告が収められています(執筆者など詳細は本体参照のこと)。※添付したのは暫定版であり、微修正が生じる可能性があります。
- 疾患予測ツールの位置づけとリスク対応に関する研究
- 診療録サマリー作成支援のAIをめぐる医師の意見から
- 心理学的支援への情報通信技術導入について
- 医療AI研究開発における倫理的諸問題に関する資料の基本項目の検討
- 医療AIの開発と利活用をめぐる諸課題と架空事例作成
- 医療用AI導入に関するフォーカス・グループ・インタビュー
- 医療AIを考えるための架空事例も6件新たに追加されています。
この活動の間、海外ではWHOの報告書、国内では日本医師会の答申も示されるなど、この話題に関する議論が展開されるようになりました。「AI」のみの議論というより、医療やそのインフラ、医師の行為のあり方をめぐる議論として、多角的に検討するための一つの切り口だと考えています。(井上)
井上です。冬に執筆していた論文が刊行されました(オープンアクセスです)。
本論文は、『新型コロナウイルス感染症の予防接種の進捗は、各国における臓器提供の活発さのパターンと似ている』という状況に注目し、その背景を「信頼」や「社会連帯」を糸口に考えています。
OECD諸国における予防接種の展開を見ていると、急速に普及する国もあれば、早く始めても苦戦している国があったりします。各国で接種が本格化した2021年の夏・秋の状況を見ると、予防接種の展開は、その国における従来の移植臓器提供の活発さと有意な相関関係があるようでした。多変量解析の暫定的な結果によれば、「医療者・医療への信頼」が双方に共通のプラス要因であることも示唆されています。公衆衛生と社会のあり方を考えるヒントがあるかもしれません。
Inoue Y. Relationship Between High Organ Donation Rates and COVID-19 Vaccination Coverage. Front Public Health. 2022 Apr 11;10:855051. (doi: 10.3389/fpubh.2022.855051.)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35480588/
D4の北林です。
このたび、Therapeutic Innovation & Regulatory Science誌に以下の論文が掲載されました。
Aki Kitabayashi, Yusuke Inoue
Factors that Lead to Stagnation in Direct Patient Reporting of Adverse Drug Reactions: An Opinion Survey of the General Public and Physicians in Japan
Therapeutic Innovation & Regulatory Science. 2022 Mar 27. doi: 10.1007/s43441-022-00397-x.
https://link.springer.com/article/10.1007/s43441-022-00397-x
薬を服用後には、効き目(主作用)だけでなく、好ましくない副作用が生じることがあります。こうした副作用の情報を、規制当局に報告し、薬の安全な使用のために活用する制度があります。この制度を用いて、日本でも欧米に倣い、近年、新たに患者・市民も報告ができるようになりました。しかし、その実績は日本で大きく低迷しています。
そこで、この背景を検討するべく、「市民」および市民への情報提供や行動をはたらきかける機会を持ちうる「医師」を対象として、制度に関する認知度や受け止め方を調査しました。調査の方法としては、日本全国の市民、医師を対象に質問紙調査を行い、市民845名、医師300名から回答を得ました。その結果、市民の大半は、制度の存在を認識していませんでしたが、制度に賛同する市民も多くいました。医師においては、制度の認知度は市民よりも高かったものの、制度に肯定的な医師は半数に達せず、その理由として、市民自身の副作用に対する判断や規制当局による評価への懐疑的な声が目立ちました。
本論文の執筆中に最も頭を悩ませたのは、市民及び医師共に、副作用をはじめとした医療提供の内容については「医療従事者にお任せ」という考えが根付いていそうだという点です。市民自身が動くべきこの制度を普及させるために、市民及び医師においてどのようなマインドチェンジが必要か、引き続き考えていきたいと思います。
本制度を改善していくため、今回の調査が、制度に対する市民や医師の姿勢、制度の認知度や報告のハードルの高さを解消するための規制当局の取組み、医師に限らず幅広い職種の医療従事者の関与を見直すきっかけの一つになれば幸いです。
医療におけるAIをはじめとした先端ICT技術の活用について、日本医師会の生命倫理懇談会が答申を発表しました。井上も作成・執筆に参画しました。
本答申は5つのパートより構成され、最後のパートが「まとめと提言」に当たります。ここでは「医療AI」の開発と活用にあたって留意すべき6つの提言が示されています。例えば、「人間の意思が尊重されること」「責任の所在をあいまいにしないこと」「教育と研究の推進」などです。
2022年にWHOが医療AIをめぐるガイダンスを発表するなど、改めて医療におけるAI倫理が関心を集めています。こうした海外の状況をまとめつつ、現在直面している個人情報の活用や、今後想定される臨床現場での諸問題を検討したものとなっています。特に、井上は倫理的課題の執筆を担当しました。
人間のよさ・AIの可能性、それぞれが活かされ、また引き出されるような形で、開発と普及が進むことを願います。
日本医師会・生命倫理懇談会答申「医療AIの加速度的な進展をふまえた生命倫理の問題」
https://www.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20220309_3.pdf
日本医師会プレスリリース
https://www.med.or.jp/nichiionline/article/010536.html
D2の佐藤です。
このたび、日本遺伝カウンセリング学会に以下の論文が掲載されました。
佐藤桃子、神里彩子、武藤香織「出生前遺伝学的検査における用語「マススクリーニング」使用に関する言説分析」『日本遺伝カウンセリング学会誌』42:307-317, 2021
日本の出生前遺伝学的検査のガバナンスにおいて、「マススクリーニング」は一貫してやってはいけないことであり、回避すべきあり方だとされてきました。
しかし、「マススクリーニング」が具体的にどのような実施のことを指しているのかは、必ずしもはっきり定義されているわけではありません。
本研究では、1990年代に導入された「母体血清マーカー検査」と、2010年代に導入された「NIPT(非侵襲的出生前遺伝学的検査)」それぞれの実施方針を決めた会議の議事録と、方針に対する団体の意見書から、「マススクリーニング」がどのような実態を指して使われているか調査しました。
その結果、大きく分けて「すべての妊婦さんに強制される状態」という解釈と、「希望する妊婦さんが全員受けることのできる状態」という解釈の2つがあり、単に「マススクリーニング」ではどちらを指しているか判別できないことが分かりました。
この状況では議論が曖昧になってしまうため、今後は「マススクリーニング」という用語は使わず、「検査が強制かどうか」「対象者は誰か」の2点を明らかにして具体的に言い換えていくことを提案しました。
修士論文の内容を元にした論文で、先日の生命倫理学会でも追加の分析を加えて発表することができました。
今年、NIPTの方針について見直しが決まり、情報提供のあり方が議論されていく中で、その一助になれば幸いです。
助教の李です。
遺伝性乳がん卵巣がん症候群(Hereditary Breast and Ovarian Cancer: HBOC)について、日本の研究者・医療者から、最新の知見や臨床実践を発信する書籍が刊行されました。
本書にて、倫理的・法的・社会的課題(ELSI)を論じた章を執筆いたしました。
Izen Ri, Kaori Muto. (2021)
Ethical Issues: Overview in Genomic Analysis and Clinical Context.
In: Seigo Nakamura, Daisuke Aoki, Yoshio Miki. (eds.)
Hereditary Breast and Ovarian Cancer: Molecular Mechanism and Clinical Practice. Springer, Singapore. (ISBN:978-981-16-4520-4)
https://doi.org/10.1007/978-981-16-4521-1_17
ここ十数年の間に、がんゲノム診療や研究は大きく転換を迎えました。技術革新に伴い登場した新たな論点に加えて、時代を超えても通底する倫理的な原則や、患者さんや家族を支える意思決定支援のあり方について、国内外の研究蓄積を紹介しています。
前半では、遺伝学的検査、偶発的・二次的所見の取り扱い、ゲノムデータの共有に関する近年の議論、後半では、予防的切除の倫理、遺伝情報の守秘義務と結果返却、家族内におけるリスク告知といった、臨床における諸課題に関して、共同意思決定(SDM)のアプローチを紹介しつつ、まとめました。
大学院生時代から調査や検討を続けてきたテーマであり、個人的にも貴重な機会となりました。日本と海外の研究を結ぶ一助につながれば幸いです。