ウプサラ大学での活動は全日程を終了しました。ステファン先生には最後の日まで論文についてコメントをいただき、何とか構成について及第点をもらいました。マッツ先生からはいくつかの宿題をもらいました。温かく接してくださったメンバーをはじめ、多くの方々と別れることは名残惜しいですが、今回の滞在をきっかけに次の新たな段階、新たな関係に進めるという意味では祝福するべきことだとも思っています。個人的にも、大きな病気やケガもなく帰国できることは大変な幸運です。
私の作業の関係上、公衆衛生や研究倫理、研究者のライフスタイルなどに興味が偏ってしまいますが、個人的に総評しますと、スウェーデン社会は、種々の社会問題を抱えつつも、不信感や性悪説ではなく、有形無形の政策基盤と良識によって主に支えられているように見えました。生命倫理についても、合理性と機能性を重視した政策作りが印象的ですが、国が個々人の行動に深く介入する土壌もあります。もう一つ認識したことは、日本で起きている問題は、海外の問題意識をそのまま当てはめるのではなく、日本での問題意識を大事にし、また日本なりの解決策を考えなくてはいけないという、当然と言えば当然のことでした。逆も然りで、日本の問題や解決策の本質を海外に説明することはなかなか容易な作業ではありません。
最後の昼食会で、(今さらですが)私はこのセンターが受け入れた初めての海外研究者だということを知りました。慣れないことも多くあったはずですが、常に温かく、そして公平に接していただきました。余韻に浸る余裕はなさそうですが、今回の滞在が実りあるものであったといえるよう、次にお会いするときに少しは成長した姿をお見せしたいと決心しました。最後になりましたが、ウプサラ大学CRBの愛すべきメンバーたち、滞在をサポートしてくれた支援スタッフの方々、また快く送り出してくださった所長や武藤教授はじめ職場の方々に心より御礼申し上げます。
上写真:ウプサラは欧州では有名なネコの童話の舞台です。
下写真:同じく市内にて。冬の長い夜にはろうそくの灯りが好まれています。
(井上:ウプサラ大学にて在外研究中/スウェーデン王国)
久しぶりの便りです。今回は夏に訪問したアイスランドでの出来事についてお話ししましょう。
アイスランドは、人口30万人の、大西洋に浮かぶ島国です。豊富な水資源と、プレートの境界上に位置することを活かした地熱エネルギーが、豊富な電力を生み出しています。首都レイキャビクは「煙が立ち込める港」という意味だそうですが、これは湯煙のことを言っているらしいという説が一般的です。地熱を利用した巨大な温泉施設にたくさんの人がつかっている広告写真をよく目にしました。
今回の訪問の目的は、「北欧生命倫理委員会」(「生命倫理に関する北欧委員会」)に参加することでした。「北欧」と言いますと、一般的には、私が滞在しているスウェーデンのほか、ノルウェー、フィンランド、そしてデンマークとアイスランドが含まれます。それぞれに個性はあるものの、お互いに地理的にも歴史的にも深い関係を有しています。冷戦下の70年代には、北欧諸国の団結・協力の基盤として北欧理事会が設置されました。それ以降、今日に至るまで、首脳間や閣僚級での定期的な政策協議の場として機能してきました。生命倫理委員会は、この協議会の部会の一つとして1988年に設置されました。
今年の委員会の検討テーマは、「国際的な視点からの代理出産」でした(写真1)。北欧は、スウェーデンをはじめ生殖補助技術に関する法的規制に早くから取り組んできました。今回、このテーマが選ばれた背景には、代理出産をめぐる現行の規制の再考、とりわけ(日本でも取り上げられるようになりましたが)インドなど海外に代理母を求める事例が増えていることが、念頭にあるようです。
議論の中で示された印象的な視点を挙げてみますと、「金銭の授受を伴うような代理出産が認められない」という価値判断が、他の国民にも適用されるようなものなのか、つまり金銭の授受は、状況によっては必ずしも代理母に不利益になるとはいえないという視点。これについて、個人の権利の保障が果たされていない環境下において、代理出産に関する金銭授受を肯定する理解は危険であるという反論。一方、こうした議論自体を回避するためにも、それぞれの国内で「愛他的な代理出産」を認めてもよいのではないかという意見。法律の禁止規定とは裏腹に、現に海外での代理出産を経て生まれた子どもの法的な地位をどう考えるべきか、行政担当者の悩みも吐露されました。各国の担当者がそれぞれの国の経験を持ち寄り、また研究者が自身のフィールドや調査を示して、将来のあり方を検討する光景が新鮮でした。
ところでアイスランドといえば、生命倫理に関心の深い人にとっては、デ・コード社の話が想起されるかもしれません(写真2)。これは、バイオバンクへの試料や情報の提供をめぐる同意のあり方についての政策論議の、実質的な起点となった出来事でした。同国出身者でハーバード大学の医学者であったカリ・ステファンソン氏が、この国の体系的な家系記録と医療情報に目をつけ、遺伝子解析研究のリソースとしてこれらを活用することを考えました。この計画に応じた同国政府は1998年、国民の医療記録、家系情報を束ねた保健医療データベース法を立案し、成立させました。このことが自身の情報に関する個人の権利を侵害するとして、国内外の有識者を巻き込む議論に発展しました。
のちに、この法律は最高裁の判決により違憲とされました。デ・コード社は経営的な苦境に陥るようになり、後にアメリカの会社に買収されました。ただ、アイスランドの一連の議論は、近隣の北欧諸国における議論を刺激し、多くの国がバイオバンクに関する法律を備えるようになりました。
(井上:ウプサラ大学にて在外研究中/スウェーデン王国)
ウプサラにも春が来ました。種々の花が一斉に咲き、木々の緑もすっかり濃くなりました。通学路は、人に臆せぬ鳥のさえずりに満ちています。緯度が高いので(約60度、東京は約35度)、まだ外が明るいと思って油断していると、夜の10時ごろだったりします。月末の夏至祭に向けて日照時間はまだまだ長くなります。
今は人の入れ替わりが多い時期です。最近のセミナーでは、新たに雇用される研究員の方々による研究紹介や、院生さんの進捗の発表が多いです。進行の形式は、私が日本で経験したものと大きな違いはないのですが、スライドを用いる場合のほか、院生さんの場合には、執筆中の原稿について意見を出し合うというものも多いように思われます。これとは別に、隣の部屋の哲学者がこつこつと書き溜めているセンターのブログがあります。先日、彼に頼まれて、日本の新しい公衆衛生法規に関する文章を寄せました。関心のある方はこちらからどうぞ。
ところで先週には学位授与式の日がありました。授与者を満載したにぎやかなオープントップバスが市内を練り進んでいました。また、ウプサラでは、式当日に軍が授与者の数だけ祝砲を打つことが慣例となっています。
ウプサラはやや特異な場所だとしても、一般にスウェーデンでは、学術研究への社会の信頼が高いとされています。例えば、重要な法案の審議や政策立案においては、学識者の意見を聞く段階が設けられますし、医学研究においても学術研究への試料の利用に異論を唱える声は限られてきました。しかし、個々の学識者についていえば、それらの発言力は過小に評価されることもなければ、過大に評価されているわけでもなく、個々人の専門性に関して淡々と受け止められている観があります。契約外の労務に動員されることもなければ、一方で、専門分野以外にも影響力を有するようなカリスマ性も期待されていないというところです。
一方で、学識者が実務作業や社会に対して持つ視点も、どことなくドライなものを感じます。例えば、スウェーデンの医療体制は現在、深刻な状況に直面しています。しかし、これまで大学研究者による問題提起は活発でなかったように思います。先日のストックホルムでの焼打騒動は日本でも紹介されたようですが、このあたりも行政の仕事ということで淡々と受け止められているように思うのです。暗黙の距離感というか、役割分担のようなものがあるのかもしれませんが、よく分かりません。こちらで滞在を始めてから何となく感じ続けてきたことなので、書いてみました。
写真:ウプサラ駅前。暖かくなったので、日向ぼっこをする人、日光浴をする人をよく見かけます。
(井上:ウプサラ大学にて在外研究中/スウェーデン王国)
スウェーデンについて「高福祉国家」「(積極的な難民受け入れなど)人権への高い意識を持つ国」といったイメージを持つ方は多いことでしょう。私もこちらに来てから、そうした表現があながち間違ったものではないことを随所に感じます。
一方、こうした理念は、限りある資源の恩恵を、どのような資格を有する人がどこまで享受できるのか、という現実の議論とも無縁ではおれません。
スウェーデンは政策としての優生学に最も積極的に取り組んだ国の一つです。19世紀末に欧州で勃興した優生学への早くからの傾倒、政策を理論的に支えた知識人、導入後も長きにわたって維持された「断種法」。1970年代までに、法の規定に基づき断種措置の対象となった人は数万人に達するといわれています(もちろん量の多寡だけが問題ではありませんが)。
スウェーデンでは近年、特に戦後展開されてきた優生政策を振り返って、多数の著作が出版されています。こうした検討の契機となったのが1997年の新聞報道による歴史の「再発見」、そしてこれに促される形で実施された政府による調査活動でした。対象となった人への補償とは別に、国は「人道に対する罪」をテーマとして設置していた「歴史教育館」(FLH)に、「科学と差別」をテーマとした活動部門を設け(2005年)、人種衛生学や骨相学の歴史に関する資料を収集してきました。FLHは、こうした資料をもとにした出張展示や教材提供を積極的に行ってきたほか、2011年にはウプサラ大学と優生学史に関する学術シンポジウムを共催しました。
上記のFLH(展示・教育館)の正式名称は、日本語にすれば「息づく歴史館」「生きた歴史館」ぐらいの意味になります。私はこの名称から二つの意味を感じました。一つは、過去の歴史を風化させず、今日および将来の教訓にするための活動は、多くの労力によって意識的に支え続けられる必要があるということです。もう一つは、断種措置(不妊措置)をめぐる議論は現在も終わっていないということです。実はスウェーデンでは法律に断種規定が依然として残っており、その廃止に向けた議論が現在も行われています。この話はまた機会があれば。
写真:1922年に設立された「国立人種生物学研究所」が入っていた建物。ウプサラは、優生学の国立研究機関が世界で初めて設置された地でもあります。現在は大学管理局が入っています。
(井上:ウプサラ大学にて在外研究中/スウェーデン王国)
「この研究室はこの先どの方向に進んで行くべきか、そしてそれはなぜか」
「研究環境を最大限活用できているだろうか、改善すべきところはないだろうか」
現在滞在しているセンターで、これらのテーマについて議論するミーテイングがありました(年末の恒例のようです)。ハンソン教授をはじめとする、いわゆるシニアスタッフと、ボスドクなどのジュニアスタッフ、そして博士課程の学生さんたち、合わせて15名ほどが、3つのグループに分かれて意見を出し合い、それぞれ提案をまとめます。最後にそれらを発表しあって集約し、今後の研究室の運営に役立てようというものです。
私はウプサラに来てようやくひと月。研究環境の素晴らしさにうっとりしながら毎日を過ごしているので、このような議題を出されて正直困ったのですが、その場の席順でさっさとグループを割り当てられてしまいましたので、腹を括って思いの丈を述べました。
議論は全体として「セミナーのあり方」に集中しました。定例のセミナーは重要な機会であるが、時間の制約もあるし、そのテーマに興味がある人もいればそうでない人もいる。セミナー後のフォローアップや、もっと密度の濃い議論の場が必要ではないか。みんなで集まってブレイン・ストーミングをするためだけの機会もあっていいのではないか。ぜひ話を聞いてみたい人を呼んで講演してもらうような機会も必要、若手主催で行事を作ってはどうか(この行事のためにセンターの予算が割り当てられることになりました)。文献の批評や特定のテーマについて意見をたたかわせる場があってもいいのではないか。その他にも、センターの対外活動は現状でよいだろうか、センター内で論文の共同執筆をどう促進していくか等など、活発な議論が繰り広げられました。
個人として、また学際的な混成チームとして、いかにお互いを刺激しつつ、また活かしつつ、この学問領域を展開させていくべきか。一つの挑戦を見ているようで、大いに感銘を受けました。会の終了後は市内でクリスマス夕食会。来週は恒例のノーベル賞受賞記念講演があり、京都大学の山中教授はじめ各受賞者がウプサラの地にやってきます。
写真:「カロリーナ・レディヴィーヴァ」(大学の中央図書館)の裏で花火イベントがあり、多くの市民で賑わいました。長い冬を楽しむために様々な工夫が凝らされています。
(井上:ウプサラ大学にて在外研究中/スウェーデン王国)
10月末より、ウプサラ大学(スウェーデン王国)での客員研究員としての活動を開始しました。これから折に触れて、体験したことや注目すべき出来事、議論などをご紹介して参りたいと思います。
ウプサラは首都ストックホルムから電車で20分ほどの静かな街です。過去に国王の戴冠式が行われていた場所であり、歴史建造物に恵まれた古都としての側面を有する一方、15世紀に起源を有する北欧最古のウプサラ大学の大学街でもあります。国内外から集まった学生や研究者が多く住んでいるせいか「見知らぬ人にも非常に親切な人が多い」「住みやすい」との評価をよく聞きます。
今回私が在籍する研究倫理・生命倫理センター(Centrum för forsknings- & bioetik)は、ウプサラ大学医学部に今から4年前に設置された若いセンターですが、学際的な雰囲気の中、研究者や院生さんが集まり、研究や教育活動に多くの実績を残しているところであり、国内外から高く評価されています。医学・生物学研究の規制をめぐってスウェーデンでは立法府を巻き込んだ長い議論の経緯があること、また研究基盤の整備の観点からの議論の蓄積が豊富であることも、私がこの国、この機関を選んだ理由の一つです。
センターの雰囲気としては、スタッフや院生の方々が立場の分け隔てなくお互いの意見や活動を尊重していることが印象的です。博士課程の学生さんにはだいたい私と同じぐらいの年の方が多いせいか、何かと世話を焼いて下さり、ただただ感謝するばかりです。週例のセミナーでは、博論の提出を控えたセンター内外の院生さんの発表が続く時期です。前回のセミナーは「デュアルユースに関する研究者の責任」がテーマでしたし、次回は医事法の院生さんが「市販の遺伝子検査」への規制の適否について発表する予定とのことです。来月はクリスマスがあるためか、お互いの家のクリスマス料理のことがよく昼食の話題になります。どんどん日が短くなっているため、16時を過ぎると外はほとんど真っ暗。研究棟にはほとんど人がいなくなります。
写真:ウプサラ大学で17世紀に造られた解剖講堂“アナトミカル・シアター”(1950年代に復元されました)
(井上:ウプサラ大学にて在外研究中/スウェーデン王国)