学問と社会の距離感 ウプサラより(4)

2013/06/01

ウプサラにも春が来ました。種々の花が一斉に咲き、木々の緑もすっかり濃くなりました。通学路は、人に臆せぬ鳥のさえずりに満ちています。緯度が高いので(約60度、東京は約35度)、まだ外が明るいと思って油断していると、夜の10時ごろだったりします。月末の夏至祭に向けて日照時間はまだまだ長くなります。

今は人の入れ替わりが多い時期です。最近のセミナーでは、新たに雇用される研究員の方々による研究紹介や、院生さんの進捗の発表が多いです。進行の形式は、私が日本で経験したものと大きな違いはないのですが、スライドを用いる場合のほか、院生さんの場合には、執筆中の原稿について意見を出し合うというものも多いように思われます。これとは別に、隣の部屋の哲学者がこつこつと書き溜めているセンターのブログがあります。先日、彼に頼まれて、日本の新しい公衆衛生法規に関する文章を寄せました。関心のある方はこちらからどうぞ。

ところで先週には学位授与式の日がありました。授与者を満載したにぎやかなオープントップバスが市内を練り進んでいました。また、ウプサラでは、式当日に軍が授与者の数だけ祝砲を打つことが慣例となっています。

ウプサラはやや特異な場所だとしても、一般にスウェーデンでは、学術研究への社会の信頼が高いとされています。例えば、重要な法案の審議や政策立案においては、学識者の意見を聞く段階が設けられますし、医学研究においても学術研究への試料の利用に異論を唱える声は限られてきました。しかし、個々の学識者についていえば、それらの発言力は過小に評価されることもなければ、過大に評価されているわけでもなく、個々人の専門性に関して淡々と受け止められている観があります。契約外の労務に動員されることもなければ、一方で、専門分野以外にも影響力を有するようなカリスマ性も期待されていないというところです。

一方で、学識者が実務作業や社会に対して持つ視点も、どことなくドライなものを感じます。例えば、スウェーデンの医療体制は現在、深刻な状況に直面しています。しかし、これまで大学研究者による問題提起は活発でなかったように思います。先日のストックホルムでの焼打騒動は日本でも紹介されたようですが、このあたりも行政の仕事ということで淡々と受け止められているように思うのです。暗黙の距離感というか、役割分担のようなものがあるのかもしれませんが、よく分かりません。こちらで滞在を始めてから何となく感じ続けてきたことなので、書いてみました。

写真:ウプサラ駅前。暖かくなったので、日向ぼっこをする人、日光浴をする人をよく見かけます。

井上:ウプサラ大学にて在外研究中/スウェーデン王国)