レイキャビク訪問 ウプサラより(5)

2013/10/30

久しぶりの便りです。今回は夏に訪問したアイスランドでの出来事についてお話ししましょう。

アイスランドは、人口30万人の、大西洋に浮かぶ島国です。豊富な水資源と、プレートの境界上に位置することを活かした地熱エネルギーが、豊富な電力を生み出しています。首都レイキャビクは「煙が立ち込める港」という意味だそうですが、これは湯煙のことを言っているらしいという説が一般的です。地熱を利用した巨大な温泉施設にたくさんの人がつかっている広告写真をよく目にしました。

今回の訪問の目的は、「北欧生命倫理委員会」(「生命倫理に関する北欧委員会」)に参加することでした。「北欧」と言いますと、一般的には、私が滞在しているスウェーデンのほか、ノルウェー、フィンランド、そしてデンマークとアイスランドが含まれます。それぞれに個性はあるものの、お互いに地理的にも歴史的にも深い関係を有しています。冷戦下の70年代には、北欧諸国の団結・協力の基盤として北欧理事会が設置されました。それ以降、今日に至るまで、首脳間や閣僚級での定期的な政策協議の場として機能してきました。生命倫理委員会は、この協議会の部会の一つとして1988年に設置されました。

今年の委員会の検討テーマは、「国際的な視点からの代理出産」でした(写真1)。北欧は、スウェーデンをはじめ生殖補助技術に関する法的規制に早くから取り組んできました。今回、このテーマが選ばれた背景には、代理出産をめぐる現行の規制の再考、とりわけ(日本でも取り上げられるようになりましたが)インドなど海外に代理母を求める事例が増えていることが、念頭にあるようです。

議論の中で示された印象的な視点を挙げてみますと、「金銭の授受を伴うような代理出産が認められない」という価値判断が、他の国民にも適用されるようなものなのか、つまり金銭の授受は、状況によっては必ずしも代理母に不利益になるとはいえないという視点。これについて、個人の権利の保障が果たされていない環境下において、代理出産に関する金銭授受を肯定する理解は危険であるという反論。一方、こうした議論自体を回避するためにも、それぞれの国内で「愛他的な代理出産」を認めてもよいのではないかという意見。法律の禁止規定とは裏腹に、現に海外での代理出産を経て生まれた子どもの法的な地位をどう考えるべきか、行政担当者の悩みも吐露されました。各国の担当者がそれぞれの国の経験を持ち寄り、また研究者が自身のフィールドや調査を示して、将来のあり方を検討する光景が新鮮でした。

ところでアイスランドといえば、生命倫理に関心の深い人にとっては、デ・コード社の話が想起されるかもしれません(写真2)。これは、バイオバンクへの試料や情報の提供をめぐる同意のあり方についての政策論議の、実質的な起点となった出来事でした。同国出身者でハーバード大学の医学者であったカリ・ステファンソン氏が、この国の体系的な家系記録と医療情報に目をつけ、遺伝子解析研究のリソースとしてこれらを活用することを考えました。この計画に応じた同国政府は1998年、国民の医療記録、家系情報を束ねた保健医療データベース法を立案し、成立させました。このことが自身の情報に関する個人の権利を侵害するとして、国内外の有識者を巻き込む議論に発展しました。

のちに、この法律は最高裁の判決により違憲とされました。デ・コード社は経営的な苦境に陥るようになり、後にアメリカの会社に買収されました。ただ、アイスランドの一連の議論は、近隣の北欧諸国における議論を刺激し、多くの国がバイオバンクに関する法律を備えるようになりました。

井上:ウプサラ大学にて在外研究中/スウェーデン王国)