信濃毎日新聞コラム(6)ゲノム時代の遺伝子検査(武藤)

2010/12/06

サイエンスの小径(2010年12月6日信濃毎日新聞掲載)
▽ゲノム時代の遺伝子検査▽武藤香織


ひとりの人の全遺伝情報(ゲノム)の解読に、何日かかるかご存じだろうか?1990年代頃までは、だいたいの遺伝情報を読み解くのに10年以上かかっていた。だが現在は、最新の機械を24時間動かし続ければ、約4日間で読み終わる。

この技術革新のおかげで、研究の手法も変わってきた。特定の遺伝子を一生懸命探していた時代と違い、今では全遺伝情報を相手に網羅的に違いを見つけていく。理化学研究所の鎌谷直之さんは「一本釣りから、大きな網で大量の魚を一気に捕まえるトロール漁法に変わったようなもの」と表現している。
こうした研究の成果として、遺伝子検査はぐっと身近な存在になってきた。これまで遺伝的背景による影響が不確かだった病気も、一定の遺伝的背景に生活習慣の影響が加わると、病気になるリスクが高まる可能性が指摘されている。また、薬の量や飲み方も、その人の遺伝的背景に合わせて変えたほうが効果的な場合があることもわかってきた。

一方、インターネット上などで、「遺伝子検査サービス」が一般向けに広告、宣伝されるようにもなった。イギリスではニコチン依存に関する遺伝子検査が、アメリカでは胎児の性別を判断する遺伝子検査が、大きく宣伝されて議論となった。科学者を中心に「まだ研究段階のものであり、検査として販売されるべきではない」として、規制を求める声がある。日本人類遺伝学会も去る10月、「一般市民を対象とした遺伝子検査に関する見解」を公表して警鐘を鳴らし、消費者にも慎重な対応を求めている。だが、「別に科学的に正しくなくてもいい」「占いのように楽しみたい」という消費者の声もある。

私が学生だった頃、遺伝子検査は、先天異常や遺伝性疾患の患者さんと家族のための限られたものだった。将来、自分は病気になるのか、子どもに病気の遺伝子が引き継がれる可能性があるのか、悩む家族は多い。そんな人たちのために、信大医学部付属病院は、日本でいち早く1996年に遺伝子診療部を設け、臨床心理士や専門看護師も加わってカウンセリングを行っている。

遺伝子検査が身近になれば、誰もが、他人と同じではないことがわかってくるだろう。そうすれば、遺伝に関する悩みを抱え込まずに済むようになるだろうか。それとも、誰もが遺伝的な「異常」に悩む社会になるのだろうか。

(東大医科学研究所准教授)