信濃毎日新聞コラム(4)屋久島 山を下る「荷物」(武藤)

2010/09/21

サイエンスの小径(2010年9月21日信濃毎日新聞掲載)
▽屋久島 山を下る「荷物」▽武藤香織


先日、初めて屋久島を訪れた。8キロに及ぶ長いトロッコ道を歩き、花崗岩の山道を登り、世代交代を繰り返して悠久のときを生きている屋久杉を目にした。大粒の雨や霧で包まれる森の中、日ごろの鍛錬が足りない私にとって、決して安楽な登山路ではなかったが、ヤクシカやヤクザルにも励まされて歩みを進めた。

もうすぐ縄文杉にたどり着くという場所で小休止をして、湧水で喉をうるおしていたとき、山の上から黒いビニール袋にくるまれた荷物を背負った男性が下りてきた。慎重な足取りから、相当な重さの荷物だと分かる。その荷物からはジャボジャボという音が聞こえた。同行していた山岳ガイドは男性に「お疲れさま」と声をかけ、「何キロあるの?」と尋ねた。男性は「50キロくらいかな。あと4人くらい降りてくるからよろしくね」と返事をし、山を下りて行った。その荷物の中身は、山小屋のトイレから回収されたし尿であった。

登山者が年々増加する中で、し尿の処理は、どこでも課題となっている。処理方法には、焼却炉で焼却する方法、電気で空気を送ってし尿を分解する方法、微生物製剤を加えて空気を送り込んで分解する方法、ヘリコプターで移送する方法などがある。長野県内の山小屋でも、国の補助を受けて施設を整備し、し尿の処理に取り組んでいることはよく知られている。

屋久島町では、し尿の全量搬出を目指し、国の雇用創出のための基金を利用して、年間10万人以上の登山者が残す約2万リットルのし尿を人力で搬出している。登山路にはバイオトイレもあるが、し尿をオガクズと一緒に攪拌して堆肥にするには、電力が欠かせないため、山小屋近くのトイレでは設置できていない。2009(平成21)年度からは、登山者が自分のし尿を持ち帰る携帯トイレの普及にも取り組んでいる。しかし、主力は、依然として人力での搬出だ。私が山小屋に泊まった翌朝も、作業者の方々は再び搬出に訪れ、10キロの荷物でへばっていた私をひょいひょいと追い抜いていった。

この出会いは、同行した友と私にとって、屋久島最大の思い出となった。登山者の多くは、自分のし尿が人の背中に乗って下山している現実を知らないだろう。せめて登山者が作業者の方々に道を自然と譲れるように、おそろいのユニホームを寄付したいと思った。

(東大医科学研究所准教授)