信濃毎日新聞コラム(2)臓器提供者の保護を(武藤)

2010/06/21

「サイエンスの小径」(2010年6月21日信濃毎日新聞掲載)
▽臓器提供者の保護を▽武藤香織


今年5月に開かれた世界保健機関(WHO)の総会で、「人の細胞、組織、臓器移植に関する指導指針」が採択された。この指針には、患者ではない、健康な人の体にメスを入れ、その臓器の一部を取り去って、患者に移植する行為、つまり生体臓器移植に適用される原則がいくつか盛り込まれている。たとえば、臓器提供者の選定は、監視の上、慎重に検討すること、臓器提供に伴う危険、利益など全ての情報を与えられたうえで、自発的な提供の意思確認をすること、未成年者は臓器提供者になってはいけないこと、臓器提供後の長期的なケア体制を確立することなどである。

日本は、生体臓器移植に依存しているため、この指針の考え方が及ぼす影響は大きい。1970年代から始まった腎臓移植は、年間1000件前後の実施があり、増加傾向にあるが、生きている提供者に頼っている割合、つまり生体依存率は、82.5%(2008年)である。また、年間400件以上実施されている肝臓移植も、生体依存率は平均して95%を超えている。要するに、腎臓移植も肝臓移植も、生きている提供者がいなければ、日本では成り立たない状況にあるのだ。

幸いなことに、臓器移植医療に対する社会的な信頼を獲得したいという移植医たちの思いもあり、今回WHOの指針に盛り込まれた内容の多くは、日本移植学会や厚生労働省のガイドラインをもとに、自主的に守られてきたと言ってよい。

だが、日本の肝臓移植に大きく貢献してきた、生きている臓器提供者の基本的な保護のあり方については、臓器移植法のなかに全く記載がない。昨年、同法が改正されたときにも、15歳未満の脳死判定された子どもからの臓器提供や、脳死後の臓器提供先として親族を優先する意思表示ができることなど、脳死臓器移植を推進するための改正に追われてしまった。

私は2005年に、日本で肝臓を提供してきた人たちに調査をする機会があった。家族が一丸となって患者(被提供者)を救えた喜びを味わった人。患者であった家族が提供後に亡くなり、親族内での居場所を失ってしまった人。術後の痛みや合併症が予想外に大変だった人。臓器提供のための長期入院で失業してしまった人。たくさんの肝臓提供体験を聞くことができた。その背景には、詳しい検査の結果、肝臓提供を断念せざるを得なかった人、肝臓提供を拒否して苦しんだ人もいただろう。臓器移植にかかわることになった人たちに敬意を払い、大切にする社会になってほしいと願う。

(東大医科学研究所准教授)