【院生室より】特別講演会「終末期における臨床ケアと研究に関する倫理的問題について」を聴講してみて

2014/04/01

春の暖かな陽気とともに、杉の花粉が舞い散る今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
4月よりM2となりました岩本八束です。

先日、医科研にて行われた特別講演会「終末期における臨床ケアと研究に関する倫理的問題について」を聴講してきました。
今回の講演会は研究支援業務従事者、医療従事者のみならず、基礎医学研究者など様々な方が参加してくださりました。

講演会の内容は大変興味深く、また、はっとさせられるようなところもありました。十分に吸収できている自信はありませんが、今後の研究の糧となりました。また、今回参加なさってくださった多数の方々も、今回の講演会は非常にためになった、このような講演会を今後も開催して欲しい、と思ってくださっているそうです。
紙面の都合上全てというわけにはいかないため、その一部について拙い文章ではありますが、ご報告させていただきます。


Vollmann先生の講演は「積極的/消極的安楽死」という用語が未だに使われていることについての問題から始まりました。積極的/消極的安楽死、尊厳死などといった用語が現場ではよく用いられているのですが、実際に明確に区別がつくことは少ないうえ、そもそも何が倫理的なのかが見失われてしまうということを指摘していました。そして大事なことは患者さんにとってなにがよいのか、ということであり、用語から解き放たれた議論が必要であると述べておりました。
このお話を聴いたとき、このようなことは終末期をめぐる議論にとどまった話ではなく、より広く倫理に関する現代の研究が抱えている問題ではないか、と思うと同時に、自分自身そうなっているのかもしれない、と反省しました。

終末期の患者さんの研究参加について、研究参加がタブーとされてきたのは、以前は根治治療の研究しか行われてこなかったという背景が大きく、緩和ケアの研究もなされている今、根治治療の研究含め、どのような形で終末期の患者さんが研究に参加できるのかを考えていくことこそが重要であると述べておりました。それは例えば、同意を頂く際には十分に説明を行うことや、根治治療の研究であればいつでも緩和ケアに移れるようにしておくこと、緩和ケア目的の研究であれば個々にどのような緩和ケアが必要とされているのかを考えた研究を設計すること、などであるそうです。

そして最後に、緩和ケアと根治治療は切り離して考えるべきではなく、全人的な医療が必要であること、そして終末期の過ごし方は家族や友人、医師と共同して考えていくことが何よりも重要である、そのためには専門医のみならずかかりつけ医や医師でない医療従事者も終末期について深く考えていくべきである、と述べておりました。
研究者の卵としては、あぁその通りだな、それこそが目指すべき姿なのだろうな、と非常に感銘を受けました。しかし一市民としては、ではどうやって話し合えばいいのか、話を持ちかけるきっかけはどう作ればよいのか、といった戸惑いや疑問を持ちました。今回の講演会に参加してくださった方々も、ではより具体的にはどうすればよいのか、との感想をアンケートに記していました。


講演の内容を十分に記すことができず大変もどかしいですが、少しでも皆様に伝われば幸いです。

尚、余談ですが、私と趙さんでVollmann先生をお迎えにあがったのですが英語がほとんどできない私はVollmann先生と話すことができず、大変悔しい思いをしました。グローバルな人間になるためにも英語もしっかり勉強しよう!、と強く決意をしました。

(M2・岩本八束)