信濃毎日新聞コラム(1)研究者と被験者を結ぶ(武藤)

2010/05/10

2010年4月より、信濃毎日新聞の「サイエンスの小径」というコラムの執筆を担当させていただくことになりました。担当編集者の方の許可を得て、こちらに転載します。

「サイエンスの小径」(2010年5月10日信濃毎日新聞掲載)
▽研究者と被験者を結ぶ▽武藤香織


「公共政策研究」という分野に携わる私の主たる仕事は、生物学や医学の研究者からの相談に乗ることである。「研究に協力してもらう被験者に迷惑をかけない研究計画」や「インフォームド・コンセント(説明と同意)」といった事柄についての相談が多い。最近は、与党による事業仕分けで「世界で一番になる意味」を真正面から問われた影響もあってか、「世の中に研究成果をわかりやすく伝える方法」もよく聞かれる。

日本の科学研究費の大半は税金なので、世の中に対する説明責任を果たすのは当然である。だが、夏には研究の進捗状況を詰問され、冬になれば来年度の予算編成で研究費が減額されないかとやきもきしていて、研究者の疲労の色も濃い。とはいえ、研究者の多くは非常に真剣だ。医薬品は、外国の製薬企業に特許を取られると、その特許料で値段が跳ね上がる。だから、研究成果が日本の企業によって実用化され、日本の人々に届くことを願ってもいる。

先日、松本に住む友人が興奮した様子で連絡をしてきた。その友人が見つけたのは、脂肪燃焼や血糖値低下を促すホルモンの研究成果に関する記事。「高齢やけが、足腰の病気などで運動できない人向けの薬の開発につながる可能性」が示唆されたというマウスでの実験結果のことだった。友人は、手足に不自由があるものの、電動車椅子で日々活動している。しかし、運動量はどうしても少なく、脂肪の代謝に苦労しているそうだ。まだ基礎研究段階でも、人への応用可能性があるとすれば、期待が膨らむのはもっともだ。

研究成果を待ち望む人からの応援の手紙やメールは、研究者を勇気づける。ただ、医学研究の場合、ほとんどが「早く治療法を見つけて」という要望なので、実用化までの長い道程を考えると、研究者も返事に窮する。しかし、彼女はその研究者に「もし人で試すときには、自分を使ってほしい」とメールを送った。動物で試していたものを人間に試すとき、研究者は一番緊張するし、頼みにくい。そこに名乗りを上げた彼女のセンスに感服した。即座に届いた返事には「心に沁みた。一日も早くお役に立てるよう、研究を進める原動力を頂いた」とあった。

自分のためではなく、将来の人のため。研究者と被験者を結ぶのは、この理念だ。両者が納得したうえでこの研究開発のプロセスに臨めるように、陰からサポートしていきたいと思っている。

(東大医科学研究所准教授)